2009年8月7日金曜日
相次いで・・・
押尾学の薬物スキャンダル、酒井法子のシャブ疑惑に気を取られているうちに、訃報が相次いだ1日。
早稲田ラグビーの魂の体現者、日本代表のタックラーだった往年の名フランカー、石塚武生氏(現常総学院高監督)が突然死された。
現役時代、秩父宮で何度勇気を与えてもらったことか。
57歳。
「すてきな片思い」、「ブレックファストクラブ」のジョン・ヒューズ監督。80年代の青春映画の数々は忘れがたい。「大災難PTA」は珠玉のコメディで大好きな1本。ニューヨークでウォーキング中にハートアタックで急死。59歳。映画雑誌をやっていた時の人気監督だったので個人的には思い出深い人だ。
そして、大原麗子。ギラン・バレー症候群との長い闘病生活の末、死亡。62歳。六本木野獣会出身、「網走番外地・北海編」の頃は本当に可愛いおねえちゃん、だった。「ピーコック・ベイビー」なんて歌、歌っていたなあ。83年~84年に生田スタジオでお会いした時はすでに時代を代表する貫禄充分の大女優だった。機嫌が悪いと取材者泣かせの第一人者との定評があった。同僚の女性編集者と一緒に恐る恐る取材したが、すこぶる上機嫌だったので胸なでおろしたのが昨日のことのように思い出される。そのときの同僚もいまはもう亡き人になってしまった。
山田辰夫、川村カオリ、そして今日の訃報。
みんな途上にての無念の死である。
人生の栄光とはかなさを考えさせられる日々が続く。
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5 件のコメント:
ジョン・ヒューズは、80年代に映画を見始めた世代にはある意味、神なはず。小生にはそこまで実感ないっスけど。少し前ですが、世代的には平岡正明も…。
ノリPことラリPは、川村カオリともクラブ方面含めて交流が深かったようで…お塩含めて、結局は事務所の力か…家庭的な事務所と言われるSミュージックのラリPがバッシング状態なのに反して、ラリ友達ともいわれるK藤静香、K村T哉方面は名前すら出てきませんし…。
↑不適切でしたら削除下さい<(_ _)>
「少し愛して、長〜く愛して」
は(元ネタあり?)誰のコピーだったか、この間亡くなった眞木準か、仲畑かと思いましたが、違うようです。村山というひとか。(敬称略)
80年代に映画を見始めた世代は、今の40代半ばくらいでしょうか。そういえばこのあいだaskさんからモリー・リングウォルドの近況聞いたばかりでしたね。
ジョン・ヒューズも『ホームアローン』以来パッとしなかったけど、まだまだ59歳ですから惜しまれます。
斉藤竜鳳、竹中労、太田竜、平岡正明、みんなサヨク運動自体とともに逝ってしまったっすね。
ラリPとお塩の一件は、なんかエルロイの世界っぽくなってきましたね。
「少し愛して~」はH堂の故・藤井達朗さんのようですね。
>藤井達朗さん
そうですか、失礼しました。ネットで探ると村山孝文のコピーという説もあって、まぁ、プランナーとコピーライター、どっちからそのときキーフレーズが出たか、判然としないということもあるのかも…・
ジョン・ヒューズは80年代人間(誰?)には神だったはずなのに、ネットにも追悼の言葉がほとんどなく(それらしきのはひとつだけ捕まえましたが)、大原麗子が「ハスキーボイスの」「癒し系」「女優らしい女優」という葬られ方とともにガックリしますた。
ジョン・ヒューズといえば、畑中佳樹とか斉藤英治とか柴田元幸とか、でしたよね。彼らも最近は映画評論とかやっていないみたいですね。
考えてみれば監督としては寡作なのも影響しているのかなあ。大きなネタがあったとはいえ確かに反応が淋しいのは意外。
大原麗子も石井ふく子&橋田須賀子ラインになってから、女優らしい女優というだけの人になっちゃったのかも。東映時代は輝いていたのに、あの時代は評価の対象外にされちゃうんでしょうか。
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