2009年4月26日日曜日

ハズレたけど


今朝FIFAから自宅にメールがあった。
駄目もとでエントリーしていた来年7月11日のワールドカップ南アフリカ大会決勝戦のチケットの1次募集落選の通知である。まあ、50万以上の応募があったそうだから順当に行けば外れるのだが、それでもエントリーしていない限りはチケットは入手できない。

とはいえ、たとえ奇跡的に当たったとしても本当にいけるのか?という問題はある。
今回は当選者もチケットは郵送されずに全部現地での引き取りになる。どこで発券されるかわからないがのこのこチケットの引き換えにヨハネスブルグとかの市内に出向いたところ、ホールドアップにあう危険性は相当高いのではないだろうか。しかもヨハネスブルグのセキュリティがしっかりしたホテルに決勝戦前後で部屋が取れる確立は限りなくゼロに近い。
なにせ普段から世界有数の犯罪率を誇る危険国家である。しかも大会開催中はアフリカ中の食いつめた民兵崩れがAK47やらウージやらの自動小銃で武装して喝上げ目的で国境を越えてくるかもしれない。すこしぐらい警察力を強化したところで、ソマリアの海賊を見ても判るがアフリカのアウトローたちは半端じゃない。

4年に一度の“祭り”なので、いつもの習慣で条件反射的にエントリーはしたのだが正直当たらなくてほっとした。万が一当たっていたら高額なチケット代はFIFAへのお賽銭に消えてしまうところだった。しかしそれでもいざ外れてみるとたまらなく悔しくなってくるのはなぜ?
無意識にキーボードをたたく指が第2次販売へのウェイティングリスト移行ボタンをクリックしてしまうのは悲しい性としか言いようが無い(次、当たったらどうすんねん)。

90年大会以降、今までも何とかなってしまったこともあるので、今回も、来年の夏には南アフリカのスタジアムに自分が平気な顔をして座っているイメージが、どこか心の片隅から払拭できないのも事実である。命が惜しいし金もないしと言ってはいても、旅行業界的にはごく普通に“南アフリカ8泊9日大自然と野生動物公園を堪能する旅”なんていうツアーは結構フツーにあるし、行ったことあるけど平気だったよんなんて声を聴けば“大丈夫じゃないの?”なんて安易な気持ちも湧き上がってくるというものだ。

会場建設が間に合わないとか、治安が悪すぎるとか、いまだ代替開催を疑ってやまない人は周囲にも多いが、もうここまでくれば南アフリカでやる羽目になるのはほぼ確定くさい。
第1次販売はまあ、仕方ねえなと余裕こいているが日本が本大会出場を決め、ワールドカップイヤーに突入し盛り上がりだすと、おそらくはツアー探したり、プレステージチケット探したり、いてもたってもいられなくなる自分がいることは間違いない。

2009年4月23日木曜日

甦るジョイス


アイルランドが生んだ20世紀の文豪ジェイムズ・ジョイス、いままで『ダブリン市民』『ダブリンの人びと』として知られている初期短編集の新訳『ダブリナーズ』(新潮文庫)を読んだ。
ジョイスといえば、数ヶ国語の言語表現をおりまぜ、音楽的要素も加わった難解な表現のため絶対邦訳は無理といわれた『フィネガン徹夜祭』に代表される翻訳者泣かせの代名詞のような作家である。かつて1971年にこの『フィネガン徹夜祭』の一部が翻訳されたのだが、このときの翻訳に加わった6人の翻訳者の一人柳瀬尚紀氏がその後20年の歳月をかけて『フィネガンズ・ウェイク』として完訳させた。今回の『ダブリン市民』の新訳はこの柳瀬氏の手によるもの。

柳瀬氏は『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳するに当たってルビを多用する“ルビ奏法”という表現で日本語を多彩に使い分けたのだが、今回の新訳でもその手法を縦横無尽に駆使し、訳者あとがきでは“日本語は天才”(訳者の著書タイトルでもある)と記しているように、抑制された文体で、モノの本質を一気にひらめかせる“エビファー”(顕現)と称されたジョイスの超読みづらい表現を逆に楽しくも感じさせるような日本語に置き換えている。実は安藤一郎氏による旧訳『ダブリン市民』はずいぶん昔に途中で挫折してツンドクになっていたのであったが、今回の『ダブリナーズ』は一気に読むことができた。
帯で標榜されている“画期的新訳”もそうなのだろうが、自分自身、その後に仕入れたアイルランド史の知識によって小説の背景が少なからず理解できたことで、より小説を読み解けるようになったことが大きいのかもしれない。

『ダブリナーズ』は20世紀初頭のジョイスが“半身不随の、もしくは中風”と表現したダブリンに暮らす様々な階層、年代の人々の15篇の日常の出来事をたんたんと描いたものだ。それぞれドラマ的展開のない群像劇ではあるがいいようのない停滞と麻痺した心象を実によくスケッチしている。カソリックの教義とプロテスタントとの相克、君臨する支配者イギリスへ向けた複雑な心情、産業の発展と貧困、時代の波の中で置いていかれてしまった労働者階級や知識人、白人植民地国家の首都に暮らす人たちの諦観がよく理解できる。
特にジョン・ヒューストンによって映画化され、また彼自身の遺作となった『ザ・デッド』の原作である一篇「死せるものたち」の静かな夫婦劇は読後も余韻を残し胸に迫った。この作品などはやはり自分が今の年齢になったからこそ共感を覚えるのだろう。いわゆる歴史に残る文芸作品は読む年代によって捉え方も理解度も変わってくる。特にジョイスなんかはガキが読んでも手に余ってしまうのも仕方がない。

訳者のあとがきによる翻訳の苦闘のネタ明かしも本編以上にw興味深いし、各編の冒頭に挿入された物語のイメージを膨らませるダブリンの昔の写真も素晴らしい。
こうなるとほこりをかぶっていた旧訳に再び手を延ばしたくなってきた。
最近は古典の新訳がちょっとしたブームになっているが、確かに誇りをかぶっている旧作品にも再び光を当てることになり、出版社としても読者としても目からウロコ的発見は多いのは確かである。

2009年4月20日月曜日

君に会いたい


『君に会いたい』『キサナドゥーの伝説』など今に残るヒット曲を残した元ザ・ジャガーズのヴォーカル、岡本信さんが死去。

享年59歳。

還暦パーティーを目前にしていたが、連絡が取れないのを不審に思った仲間たちが自宅マンションの風呂場で亡くなっていたのを発見したそうである。

岡本さんは、以前勤めていた衛星ラジオ局PZの番組に、他のGSの人たちと出演をお願いしたことがあった。森本タロー、植田正暁、ミッキー吉野、アイ高野といった面々だったが、岡本さんからは当時の楽屋話を面白おかしく語ってもらった覚えがある、みんなきさくなオジサンたちで私にとってはいい兄貴たちだったし、やっぱりいくつになっても格好いいと感心させられたものだ。
このメンバーからも一番若かった“もっちん”ことアイ高野さんも既に逝ってしまっている。

最近でも、大口広司(ザ・テンプターズ)、デイヴ平尾(ザ・ゴールデンカップス)、加賀テツヤ(ザ・リンド&リンダース)、鈴木ヒロミツ(ザ・モップス)とポロポロとGSのスターたちが鬼籍に入ってしまった。
ロックンローラーはやはりメチャクチャな生活を送っているからなのだろうか、皆早死にする。それはそれでアウトローの青春を送った彼らにはふさわしくもあるが、やはり時代そのものが逝ってしまうようで悲しくなる。

♪若さゆえ苦しみ 若さゆえ悩み 心の痛みに今宵も一人泣く
(君に会いたい)

当時思い悩んだ“青春”なんてもののの気恥ずかしさも、いまや人生そのものの挽歌になってしまったかのようだ。

岡本さんのご冥福を祈りたい。

2009年4月19日日曜日

週間呑みアルキスト4.6~4.19


●4月8日
大学時代からの友人ED氏から久々に連絡があって、彼ごひいきの女性歌手MIWAさんのライブに付き合わされる。場所は三軒茶屋のライブハウス『グレープフルーツムーン』。MIWAちゃんは実力派のヴォーカルで六本木のクラブ等で歌っていたところED氏がすっかりハマってしまい以後宝塚のひいき筋のような中年追っかけになってしまっている。クラブ(オヤジ系のほう)は得意なED氏もライブハウスは未体験ゾーンということで、同行を懇願された。この日は3組のアーティストが出演するのだが、MIWAちゃんの出番は2番目。最初のインディーズ系男女のユニットのちょっと暗めの曲を聴きながらピザとかチキンとかで腹ごしらえする。さて、いよいよわれらが歌姫の登場、せっかくだからとBOX席からかぶりつきの正面席に移動したら、気づくとED氏は恥ずかしがって動かず、結局中年のオヤジ一人アイドルの親衛隊然と注目を集めてしまう羽目に。それでも演奏が始まるや前のユニットなんか霞んでしまうプロのステージで、すっかりノリノリ。それもそのはずピアノの菊池智恵子さん、ギターの前田雅史氏ともにボストンの音楽大学で腕を磨いたそうで、彼らの素晴らしい演奏に乗せてMIWAちゃんのオリジナルを中心としたヴォーカルは聴き応え満点。半ば強制的につき合わされたのだが結構満足度の高いライブだった。歌心を十分に刺激され中年親衛隊は三茶いきつけのカラオケスナック『洒落人』で負けじと美声(?)を張り上げる。

●4月10日
デザイン事務所MM社と打ち合わせの後、社長のOG氏とデザイナーNZ嬢とで荒木町へ食事に。タパスのおいしいスペインバルがあるというので、杉大門通りでこじんまりと営業しているその『CARINO』へ。まだ若き2人のイケ面シェフが切り盛りしているが自慢は自家製のセラーノハム。店内の天井からも熟成中のもも肉が何本かぶら下がっている。NZ嬢から事前にシェフの実家は赤坂のスペイン料理屋ということを聞いていたので、それは『タベルナ バラッカ』かとシェフ本人に水を向けるとBINGO! かつて衛星ラジオ局勤務で今は無き一ツ木通りのTBSラジオ局舎に通ったころよくお世話になったお店である。先日約10年ぶりに行ったら女将さんから“昔よくいらっしゃってくれましたね”と声をかけていただき感激した。そのエピソードを話すと“それはきっと母です”とシェフ氏。『バラッカ』のDNAに加えスペイン現地で修行を積んできたという料理の腕は確か、どれも手が込んでいて美味しかった。近所にはスペイン人の経営する本格的レストラン『ラ・タペリア』があるが、この日本人シェフも負けてない。

●4月12日
実家の用があったので妹と石神井公園の地元で食事をすることに。以前から気になっていたデリカテッセンをかねたこじんまりしたフレンチのお店『マルシェロロ』に入ってみる。シェフはフランス人で日本人の奥さんが中心となってフランス人ギャルソンとバイト君で店を切り盛りしている。郊外のフレンチとタカをくくっていたが、プリフィックスのコースで頼んだ料理はなかなか素晴らしい。シェフはミュスカデでおなじみのヴァンデー地方出身でその道ではなかなかの達人らしい。石神井もあなどれん。

●4月14日
無性に博多ラーメンが食べたくなって、新宿2丁目の『博多天神』へ。ビール+替え玉で満腹になった後、『T's bar』で軽呑み。

●4月15日
サイトでお世話になっているOS嬢が夕方来社、翌日のプレゼン資料の宿題があったので『明治屋2nd』で食事をかねて軽く飲むことに。最近アルコールを入れた後に仕事をすると決まって睡魔に襲われてしまうのでサングリアにとどめておく。普段はあまり飲むことがないが実はここの白サングリアはなかなかイケるのだ。

●4月17日
昔からお世話になっている編集制作会社WB社のジェイクさんが、現在の会社を後進にゆだねて本人はひとり仕事をリセットするそうで、編集仲間6人で慰労会をかねた近況報告会を行う。場所は新宿富久町の『炭火焼和風ダイニング 然』。この時期の金曜日は歓送迎会でどこも混んでいるのだが、駅からちょっと離れたこの店はゆったりと個室も使えたので話をするのにはよかった。業界はみなどこも厳しくついつい愚痴も出がちだが昔からの仲間と呑むと心和む。みんな頑張りましょう。

2009年4月15日水曜日

奇跡の再現ならず(ネタバレご免)


欧州チャンピオンズリーグ準々決勝。

4年前にトルコで見せたリバプールの奇蹟の大逆転はさすがに今回はならなかった。
あのとき、ちょうど会社を立ち上げたばっかりで、リバプールにちなんで会社にマージーサイドと命名しただけに、コイツは縁起がいいと大喜びしたものだ。

ファーストレグのホームアンフィールドでは手痛い1-3の敗戦だった。過去何度も見せてきたリバプールの逆転劇の再来を願っていたはいたものの、精神的支柱スティーブン・ジェラードの怪我による欠場でさすがに難しい戦いだとは思っていた。

だがしかし、昨夜のスタンフォードブリッジでのアウェイ戦!
朝一番のダイジェストを見て早朝から思わず大声を出してしまった。
まるでノーガードの打ち合いのように点を奪い合い、一時は4年前の夢のような出来事を再現させるかのような大激戦の末4-4のドロー。あと1ゴールにどうしても手が届かず、惜しくも凱歌はチェルシーに上がってしまった。それにしてもなんと凄い試合だったのだろう。結果は残念ではあったが4年前の感動が甦って胸が熱くなった、今日の夜の録画中継が待ち遠しい。

ヒディンクも猛追を受け辛くも逃げ切った前節のリーグでのボルトン戦に続き、さぞかし心中穏やかではなかったことだろう。
まあ、奇蹟こそ起きなかったが昨夜の戦いはプレミア制覇へ向けて俄然勢いがついたのではないだろうか。今度は打倒マンU、プレミア制覇で、再び夢を見させてくれ!

2009年4月6日月曜日

週間呑みアルキスト3.16~4.5


●3月16日
ライターのaskさん、CM制作会社に勤めるkomさんと恵比寿の居酒屋『カドヤ』で呑み会。レトロ調の昭和居酒屋風のつくりだが昔からあるわけではなくサントリーのアンテナショップとして3年前くらいに出来たお店。というわけで角ベースのハイボールを呑みつつ鉄板焼やらモツ煮やらを頼むが、これが意外と美味しい。Komさんとはじっくり飲むのはこれが初めてだったが、昔の海外サッカーに造詣が深くまた東映映画のファンということが判りすっかり盛り上がってしまった。

●3月17日
以前いたK社の大先輩MKさんが夕方ふらりと来社。頃合もよしと軽呑みにお誘いすると隣の『明治屋2nd』をご所望。いつもこの日記を読んでいただいているので一度行ってみたかったとのこと。MKさんは元商社マンで映像ビジネスを担当した縁でK社に招聘された経歴の持ち主。台湾、シンガポールの現地法人の立ち上げや新規事業で随分とお世話になった。久々にお会いしたので近況を伺っていたがやはりついつい昔話に花が咲いてしまう。

●3月18日
WBCキューバ戦をどこかで観戦していた野球好きのT出版O社長と、編集者のON氏がすでにすっかり出来上がって事務所に乱入してきた。聞けば昼からずっと呑みながらの観戦だったようですでに半日以上呑み続けだとか。デザイナーのakiさんを誘い神保町の『天鴻餃子房』でキューバ戦の祝杯をあげ直す。そこへK社のMN役員からON氏の携帯に電話があったので彼も合流することになり、蕎麦割烹の『蕎麦蔵 結』へ移動し宴はさらに続くが、気がつけばO社長がつぶれてしまっていた。WBCもこれからがクライマックス、O社長こんな日々が続いて大丈夫なんだろうか?

●3月19日
新宿二丁目の『T's Bar』を久しぶりに覗くと、近所の居酒屋『かり屋』のT店長が中抜けできていて聞けば現在のお店のあるビルが区画整理の対象になるとかで、歩いて2~3分の場所に移転し4月から新規スタートするとのこと。呑みながら食べれるお店としてなかなか重宝しているので新開店のあかつきには早速お邪魔することにしたい。

●3月24日
WBC決勝戦で侍ジャパンがV2の偉業達成!夜の特別番組でシャンパンファイトをしている選手たちを見ているとこちらまで嬉しくなってしまう。早々に事務所を閉めて祝杯を挙げるべく『明治屋2nd』へ立ち寄るとお客さんたちの話題は当然WBC一色、いつに増してビールが美味い。

●3月25日
編集制作会社W社のFJ氏と編集者ON氏と会食。場所は曙橋の割烹『ほしの』。この店はたまたま近くにあるデザイン会社MM社との打ち合わせで行くことがあるのだが、実はFJ氏が会社を立ち上げた20年ほど前に新宿の事務所の近所で営業していたことがあるそうでお店のご夫婦とは旧知の仲なのだそうだ。刺身はじめ魚が美味い正統派の割烹料理に舌鼓を打つ。

●3月28日
WBC優勝の余韻の中、今度はサッカーのW杯予選の天王山バーレーン戦。ask氏と同行し埼玉スタジアムへ。日本代表も野球に触発されたか危なげない試合で勝ち点3をゲット、W杯本大会への道筋もなんとなく見えてきた。祝杯をと思っても国立や横浜と違って埼スタのある浦和美園は呑み屋は皆無、新宿まで速攻で戻って『T's Bar』で延長戦。

●3月31日
KS社のKJ氏がこの日付で早期退職をするということで挨拶で来社。さっそく『明治屋2nd』に移動して長年の苦労をねぎらうことに。T出版のO氏を呼び出して合流し今後の計画などを聞く。KJ氏は次の宴席に呼ばれているので早々に切り上げ、O社長とともに専大通りの博多ラーメン店『頂天』へハシゴ。

●4月2日
仕事で付き合いの深い広告会社D社のSM氏のセッティングで、情報出版会社P社から独立してゲームイベントの会社を立ち上げたKW氏と会食することに。KW氏はP社の中国ビジネス担当だった縁で一度名刺交換したことはあったのだが、個人的にお話しするのは始めて。場所は麻布十番の暗闇坂にひっそりと佇む隠れ家的イタリア料理のレストラン『AZABU HAUS』。同席した近所でCM制作会社を営むIH氏の紹介だったが、こういうアンビエントなつくりの大人のレストランでの会食は本当に久しぶりである。ワインも食事も申し分ない上にKW氏の新規ビジネスの話も実に興味深く有意義な一晩となった。

●4月3日
早期退職者が相次ぐK社グループのかつての仲間であるSN氏と食事会。かつて同じ釜も飯を食ったT出版O社長、現在は某お寺に企画担当として再就職しているSS氏とともに神保町に新しく出来た中華ダイニング『王家私菜』でささやかな慰労の宴と相成った。この日は陽気もよく靖国神社の花見から流れた団体も多くてお店は超満員だったが、フロアを仕切っている若い中国人女性がてきぱきと注文をさばいていて感心する。神保町の老舗『咸亨酒家』の料理長だったシェフが独立したお店なのだとかで、味のほうも上海料理を中心になかなか美味しかった。この不況下かつての仲間が最近相次いで独立しているのだが、アライアンスを組むという面では悪いことではない。当方も会社設立からまる4年、神保町もだんだんと仕事の(呑みもだが)コミュニティが出来つつある。

2009年4月1日水曜日

給付されても


定額給付金の申請用紙が届いた。
もともととりたてられた税金を戻してもらってそれを消費に回せという今回の給付金、ざけんじゃねーぞと思っていたが麻生の支持率が少し上がったのは、やっぱり金もらうのは嬉しいという民意も少しぐらいは反映しているのだろう(もちろん小沢の自滅もあるが)。
そりゃオレだっていらんとはいわん。さもしいといわれるほどの所得でもないのでありがたく使ってやるから早よよこせと思っていた。

知り合いの中にはもう届いたよという報告もあったので、我が練馬区はまだかいなと少し気になっていたところ、なんとか期末に間に合わせたという感じだ。
しかし結局は一律銀行振り込み、田舎の役場と違って大勢の区民に手渡しってーのも手続き上大変な作業になってしまうのは確かなのだが、機械的に12000円を振り込まれてもそれをわざわざ引き出して消費に使うのだろうか?
区のほうももう少し消費に向けた工夫はできなかったのか。
結局は預金通帳が知らない間に少し数字が増えた、ということだけで終わってしまいそうである。