2008年9月28日日曜日
天の誰かに愛された男
ポール・ニューマン死去のニュース。
末期がんで入院先の病院から家に戻り、愛妻のジョアン・ウッドワードはじめ家族に看取られながら息を引き取ったそうである。83歳だった。
ニュースでは『明日に向かって撃て』(1969)や『スティング』(1973)でおなじみの、というように紹介されていたが大俳優になってからより、60年代初期のぎらぎらしていた青年時代の演技が個人的には深い印象がある。
アクターズスタジオで同期だったジェームス・ディーン、マーロン・ブランドが先にセンセーショナルなデビューを飾ったため、彼らの亜流のような扱われ方に嫌気がさしていたところ、ディーンの急死で代役として起用された56年『傷だらけの栄光』で一躍脚光を浴びることになる。相手役もディーンの恋人だったピア・アンジェリというのも皮肉だが、ナイーブさを秘めたマッチョという役どころではディーンよりはるかにハマリ役だった。58年の『熱いトタン屋根の猫』、61年の『ハスラー』、63年の『ハッド』、67年『暴力脱獄』とオスカー主演男優に4度ノミネートされたそれぞれの作品はすべて彼のこのナイーブさゆえに懊悩するという役どころで彼の真骨頂だったように思う。
特にロバート・ロッセン監督の『ハスラー』で、社会の裏側でうごめく男たちの中で(ジョージ・C・スコット、ジャッキー・グリースンの存在感も凄い)彼が演じた主人公エディの金と勝負の世界しか信じない凄絶な生き様は忘れがたい。足に障害を抱える女子学生パイパー・ローリーとの明日の見えない愛もなんともやるせなかった。
彼のレフティな政治的立場ゆえか当時はアカデミー賞には縁がなかったものの85年に名誉賞、86年に『ハスラー2』でとってつけたように主演男優賞を受賞したが、どうでもいいような続編で功労賞的に輝いたのも彼自身も内心苦笑していたかもしれない(『ハスラー2』の監督、マーティン・スコセッシもどうでもいい『ディパーテッド』で監督賞もらってたけど)。
晩年は事業で成功した莫大な収入を熱心にチャリティに寄付していたのはよく知られている。
そのきっかけは長男の麻薬中毒死だったという悲劇もあるものの、多くの人間に愛されたニューマンの人となりは称えられてしかるべきだろう。
彼の出世作だった『傷だらけの栄光』の原題は『Somebody Up There Likes Me』。その通りの人生であった。
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2 件のコメント:
「明日に〜」「ロイ・ビーン」「マッキントッシュの男」「新・動く標的」と、小生にとって最初は70年代の特権的男優でした。そのわりに「スラップショット」「スクープ/悪意の不在」「アパッチ砦・ブロンクス」を公開当時見に行かなかったのは、ちょっと演技が大根っぽい気がしてしまったからか…。個人的にはブランドやディーンの流れというより後のスタローンやシュワルツェネッガーに連なる素で魅せる男優だったのではと思っています。「ゲット・ア・チャンス!」「〜パーディション」などの老境演技も素の老境であり素晴らしいのですが…本人はもう演じる感覚とは違ってきて引退を決意したのかもしれません。遺作「追憶の街 エンパイア・フォールズ」の録画を探し出さないと…。いかにもハリウッド二枚目俳優らしい“ポール・ニューマンの瞳”(シナトラのol' blue eyesの変奏だったのかもしれませんがグレイがかったブルーの目)は忘れ難いです。
素で魅せる男優もだんだんと少なくなっていきますね。
ニューマンの青い瞳と笑顔は唯一無二だったような気がします。
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