2009年5月6日水曜日

one fine day

本日、東京メトロ副都心線乗り入れ渋谷行きの新宿三丁目駅で、なにげに改札を通ろうとしたらなんと定期入れにあるはずのパスモが無い!後生大事にボロボロになるまで使い込んだ定期入れのセルの裂け目からこぼれ落ちてしまったのか?注意はしていたのだが、おそらく石神井公園の駅で改札通った後に落としてしまった確立は高い。

焦ってポケットを探るが無いものはない、仕方なしに駅員さんに事情を話すと追加料金を取ることも無く改札を通してくれた上、残り金額を聞かれ4000円くらいかなと答えると、そんなに残っているなら改札の先にある事務所に遺失物係りがいるから届けたほうが良いと親切に言ってくれた。今乗ってきた車内だったら出てくる可能性があるそうだ。時間もかかりそうなので一瞬あきらめようかなと思っていたが、そこまで言われればと気を取り直して事務所に出向くと応対してくれた女性が、てきぱきと乗っていた車両位置や座った座席の位置関係を聴いてくる。すぐさま終点の渋谷駅に連絡を取ってくれ車内をわざわざ捜索してもらった。

待つこと数分、いろいろ手を尽くしてくれたが本当にすまなさそうな顔で見つからなかったと告げられ、こちらが不注意だったのにすっかり恐縮してしまった。あげくに上野にある地下鉄の遺失物センターと西武鉄道のサービスセンターの連絡先まで調べてくれる念の入り方。

なんて素晴らしい対応なんだ!東京メトロ。正直言って感動したね。

大体無記名のパスモである。拾ったやつは自分で使うかもしれない。オレならネコババしないまでも届けたりまではしないだろう。改札の駅員さんは届け出ろと進めてくれたが出てくる可能性ははじめからゼロに近いと、当人があきらめているにもかかわらずこの対応である。東京メトロ職員のサービス意識の高さに本当に驚いた。

平身低頭して礼を言って去ったのだが、ここまでしてくれた好意を無に出来ないと西武鉄道の石神井公園駅にこちらのほうがやや確率は高いと思ったが、あまり期待もせずにあきらめ半分駄目もとで電話したところ、パスモが1枚届いていると言うではないか!無記名なので本人確認も出来ないと思っていたが履歴を見てくれ、最近の行った先を告げると“間違いないでしょう”とあっさり所有者であることを立証してくれた。石神井公園駅は現在高架化の改修工事中で駅員さんは安全運行管理で大変なことは容易に推察できるが、こちらも忙しい中嫌な顔ひとつしないで丁寧に対応してくれたのである。

帰りに無事ピックアップし4000円のパスモはかくしてわが手に還って来たのであった。
届けてくれた人はどういう人だったか、渡してくれた駅員さんが受け付けたわけではなかったので判明しなかったが、石神井住民のモラルの高さにまたまた感動してしまった。
よく日本で落し物をした外国人が、拾った人が届け出てくれ手元に戻って日本人のモラルに感動する話は聞くが、本当にその通りだ。
いや~、美しい。

東京メトロ、西武鉄道の職員の皆さん、届けてくれた親切な誰かさん、本当にありがとうございました。
4000円という金額の何倍もの価値ある素敵な日となった皆さんの善意に心から感謝です。

2009年5月5日火曜日

週刊呑みアルキスト4.20~5.3


●4月24日
連休前日で給料日の金曜日、隣の『明治屋2nd』もいつもにまして込みだしたので、新宿二丁目『T'S Bar』に移動。新宿も通りは込んでいるもののどこのお店もそんなに人がいっぱいという風でもない。
帰り際、新宿三丁目の末広亭のある一角を抜けて地下鉄の駅に向かったが、なんだか大型のワインバーが出現していたり、テラス席のある新宿には似つかわしくないシャレたカフェバーが軒を連ねたりこのあたりの風景も本当に変わりつつある。

●4月27日
高円寺のデザイナーFJ嬢と打ち合わせのため、会社からの帰り久々に高円寺駅に降り立つ。南口のカフェ『Yonchome Cafe』で待ち合わせ。仕事の打ち合わせのつもりだったがお店自体夜はビストロ風に様変わりしてしまうので、ついついビールを飲みながらの打ち合わせに。FJ嬢も残してある仕事を気にしながらも旦那様に連絡し結局は本格的に呑んでしまった。

●4月28日
夕刻、仕事先のプレゼンを終え、日比谷の國際ビルでMM社のデザイナーNZ嬢と食事をかねてスペインバル『LA BODEGA』でタパスつまみに軽呑み。この日はKS社で最近早期退職したKJ氏のサッカーチーム主催の送別会があるので呑み足りなさげのNJ嬢だったが早々に切り上げ、会場の恵比寿の和食屋『恵比寿ばし 武生』へ向かう。以前のK社のサッカーチーム“四谷ユナイテッド”の面々とは最近はとんとご無沙汰で久々に顔を合わせたのだが、しばらく試合に行かないうちに若手連もすっかり30代へ突入し、チームも高齢化の波を迎えている。このご時勢なので新入社員もほとんど採用がないため新しい血が入ってこないのもいたしかたないところ。KJ氏は名うての長尻でとぐろを捲きだしたら泥酔していても梃子でも動かない。この日も二次会の『花の舞 恵比寿北口店』の終了時間(午前3時)まで付き合わさせられてしまった。新宿の事務所に戻るというBS社のYM社長のタクシーに同乗させてもらい、新宿で始発まで待つことにして二丁目の『T'S Bar』に向かうが店じまいをはじめたところで間一髪セーフ、無理やり朝までお邪魔することに。朝帰りは何年ぶりだろうか、案の定電車でうとうとしてしまい一駅乗り過してしまう。

●5月1日
近所の企画会社ST企画のMT社長が来社、MT社長は同じ歳で社員も数人抱えて学校関係等の出版物などを手がけている人物で『明治屋2nd』の常連さんでもある。ということで、打ち合わせ後、当然のように開店したばかりの『明治屋2nd』へ。

●5月2日
ドーハ以来のサッカー関連の友人のHT氏と久々に銀座で会食。銀座は休日の買い物客でにぎわっていたがHT氏が見つけてきた松坂裏のスペインバル『Bar371』に飛び込みで入ってみる。黒人のギャルソンがいたりなかなかムードがある店だが値段は至ってリーズナブル。海外サッカーの話や共通の知人の話題で盛り上がっているうちにあっという間にワインのボトルが空いてしまう。HT氏の焼酎のボトルがキープしてあるという銀座通りの『響』にハシゴ。

2009年5月4日月曜日

いい仕事してますが・・・


今年の連休は、カネにならない頼まれ仕事があってどこにも出れない日々が続いているのだが、その合間を縫って東京プリンスホテルで開催されている『ザ・美術骨董ショー』を覗いてきた。
美術骨董といっても、自分が蒐集の趣味があるわけでもなく、たまにテレビの「鑑定団」を見る程度の興味しかなかったのだが、わが社の隣に店を構える『Retreat』の店主WTさんから案内状をいただいていたので冷やかし半分に出向いたのである。
『Retreat』も立ち飲み屋の『明治屋2nd』同様に、わが社とほぼ時を同じくしてご近所に開店したマイセンを中心とした高級西洋陶磁器を販売している骨董品店である。店主のWTさんも脱サラ起業組というよしみで最近親しくさせていただいている。

会場はホテルの大宴会場に大小のブースが150店ほど設置されていて、日本の焼き物、書画を中心に西洋アンティークや古銭、などバラエティに富んだ骨董品が展示即売されている。
実は、死んだ親父が“へたな骨董好き”で、生前よく自慢していた一見ガラクタにしか見えない焼き物や根付、懐中時計とかいう類のモノが結構遺されているので、少しは価値があるものかないものか視察もかねて値札をひっくり返して歩いたのだが、素人目には正直よくわからなかった。

隣に店があるのに、あまり商品を拝見させていただいたことがなかったので『Retreat』の展示品も解説付きでジックリ拝見させていただいた。実際間近でポーセリンの逸品を見せていただくとやはり独特の魅力を放っていてついつい欲しくなってしまうものもあるのだが、値段はともかくも大枚はたいたところで飾る場所=器の問題がある。せこいマンションの拙宅のサイドボードでは飾っておいても気分がむなしくなるばかりだと思い、目の保養だけさせていただいた。写真は『Retreat』イチ押しのマイセンの壷だが、神々の結婚宴会に題を取った彫り物は遠近や筋肉の質感など本当に素晴らしい細工が施され素人目にも近世ドイツの職人芸の水準の高さがよくわかる。まさに中島誠之助氏いうところの“いい仕事してますね~”である。

しかしどの陶器もウン十万の値札がついていると、こういう趣味を持てる人がうらやましくなると同時にその素性を詮索したくなってくるのは貧乏人の僻みというものだろうか?
こういう趣味の世界はあまり好不況の波は関係ないと聞いていたが、WTさんが言うにはさすがに昨年に比べて人の出が少なくなっているそうで、昨年は最終日に上客が来店し大口の商売ができたたとホクホク顔だったけど“今年は出店費が出ない”と嘆息していた。
4日が最終日、僕は協力できなかったけど昨年のお客さんはまたきっと最終日に来ますよ、頑張ってください。

2009年5月3日日曜日

清志郎さん



 ♪Rock’n Roll Showはもう終わりだ。

 って、そんな、早すぎる…。

 ご冥福をお祈りいたします。

2009年5月1日金曜日

この世界の片隅に


『夕凪の街 桜の国』の、こうの史代のコミックス最新作『この世界の片隅に』(双葉社刊)の完結編が一昨日発売され、上、中巻既読し、かねてからその発売を待ち望んでいたので早速入手した。

この作品は昭和18年に広島市の少女・浦野すずが、見合いで呉市の北條家に嫁ぎ、戦時下の嫁として暮す日常の出来事を坦々と描いたものである。すずをはじめ登場する人々はそれぞれが、戦争という非常時を特に肯定も批判もせずに何の疑問もなく生活の不自由を工夫しながら生きている、いわゆる大多数の“世界の片隅に”生きている庶民である。
夫・周作は海軍の軍法会議の録事という文官でいわゆる軍人らしくないサラリーマンのような男で、やさしい両親と、夫を亡くし実家へ小学生の娘とともに出戻ってきたなにかと口うるさい義姉とともに同居している。
すずは絵が好きで、それが縁で遊郭の女性と友情を結んだり(後に夫が彼女の客の一人と判明する)、水兵となった幼馴染の同級生と再会しほのかな恋心を寄せられたりといった些細な“事件”もあるのだが、総じて平凡な日々が過ぎていく。そして昭和20年、軍都・呉は空襲に曝され平穏だったすずの日常も一転していくのである。

当然ながらこの時代の広島を描いているわけなので、完結編となった下巻の結末がただで終わらないことは容易に想像ができたが、上中巻で描かれた不便だが健気ですらあった市井の平穏さが暗転し悲惨なクライマックスへ向かっていく展開に思わず肩に力が入って作品にぐいぐいと引き込まれてしまった。
心身ともに打ちのめされたすずが、生き残った人たちと終戦を告げる玉音放送を聞いた後、ひとり畑に出て“この国から正義が飛び去っていく”事実の前で失ったものの大きさに大粒の涙で崩れ落ちるシーンに不覚にももらい泣きをしてしまった。この筆者の骨太の絵力というか表現力は魂をゆすぶられるほどの迫力で胸に迫ってくるのだ。
登場人物の中に消息が最後までわからないままのものもいる。また運よく生き残ったものの原爆の2次被害を受けているものもいる、この人物たちのその後の人生の結末を予感させながらも、すずは夫とともに戦後を再び歩み始めるのである。

昭和43年生まれの作者は、手塚文化賞を受賞した『夕凪の街 桜の国』で初めて出身地・広島の過去に向き合ったのだが、戦争とは無縁だった作者が、家族や縁者の証言に触れ、さらに多くの文献からその時代の世相を掘り起こし紡ぎ出していく作業は筆舌つくしがたい苦労があったことだろう、あらためて深い敬意を表したいと思う。『この世界の片隅に』はその結実であるといってしまっては簡単だが、その苦労に加え彼女を突き動かす何か大きな力が“降りて”きていたのかもしれない。
本人のあとがきにも“正直書き終えられるとは思わなかった”という率直な言葉が述べられ“幾つもの導いてくれる魂”に出会えたと記されている。

昨今の北朝鮮をめぐる政治状況の中、先制攻撃の論議が声高に叫ばれ始めている。
核クライシスの前でかき消されてしまう過去の記憶。
こうの史代の作品の価値が、だからこそ時代の必然であるような気がしてならないのだ。