2010年11月4日木曜日

東京国際映画祭後半戦

東京国際映画祭、今年のさくらグランプリ作品はニル・ベルグマン監督のイスラエル映画『僕の心の奥の文法』に決まった。映画ジャーナリストの人たちの下馬評ではルーマニア=セルビア=オーストリア制作の『一粒の麦』を本命視する向きも多かったようだ。自分が観たコンペティション作品の評価も気になっていたが、いずれにしろイスラエルやコソボといったある意味社会的に注目が集まる地域からの出品作に評価の目が向けられるのは仕方がないのかもしれない。『ブライトン・ロック』のようなサスペンス、しかもリメイクものはやはり選考的には不利なんだろうなと思ったりもする。もちろん自分が受賞作品自体を観ていないので論ずるにあたわないし、多くの映画人の共感をかち得ているということでそのレベルの高さを疑うものではないのだが。

確かに国際映画祭としては、カンヌやベネチア、ベルリン等に比べれば歴史的にも権威的にもメジャー感に欠けるが、今年のラインアップを観ているとなかなかユニークかつ意欲的な作品が多かったように思う。一般的には特別招待作品の目玉がいまいちで派手さに欠けたという不満もあるのだろうが、こういう世界の新しい映画の潮流に対して真摯に向かう姿勢が23年を経過して徐々に世界に浸透していけば、映画祭自体の存在意義もおのずと価値あるものへ向かってくるはずだ。

さて、今回鑑賞した作品の後半4本だが、再び「アジアの風」から3本、「日本映画・ある視点」から1本である。


まずはここ何年か「アジアの風」で大人気の香港の彭浩翔(パン・ホーチョン)監督の『恋の紫煙』。毎回趣向が変わった内容で楽しみな監督なのだが今回はライトコメディときた。
世界的な潮流の例にもれなく香港でも禁煙法で愛煙家が肩身の狭い思いをするのは同様だ。限られた喫煙場所に集まり一服することで新しい人間関係ができていくのは日本の職場でもよく聞くことだが、この映画でも色々な職場の愛煙家が一服つけに来る喫煙場所が主要な舞台である。同好の士が集まれば新しい人間関係ができ、男女がいればロマンスも生まれることだってある。そんなひと組の男女の出会いから紆余曲折をへて新しい恋が成就するまでを描いているのだが、テンポのよい(といってもたいしたドラマ性があるわけではないが)展開と、なんといっても他愛なくもおかしい会話の妙で観客を飽きさせない。“タバコは動くアクセサリー“というコピーがあったが、タバコというアクセサリーを基にしてこんな洒落た映画を1本作ってしまうあたりは、彭浩翔監督のセンスと手腕を感じざるを得ない。
香港に旅行するたびに現地の会社で働いている知人のところに立ち寄るのだが、あの会社の従業員もこんな会話しながら働いているんだろうかと思いを巡らしたり、主演の余文樂(ショーン・ユー)そっくりの台湾人と同じ職場で働いていたのでどうも映画の登場人物とダブって困ったりしたが、とても楽しく作品に没頭できた。


続いてはシンガポールの25歳の若手・廖捷凱(リャオ・ジェカイ)監督の作品『赤とんぼ』。海外で成功しシンガポールで個展を開くことになった女性画家が自分の高校時代の思い出を振り返りつつ自分を見つめ直すという設定で、2人の男の子とともに郊外の廃線をたどってオリエンテーリングしたときの昔の記憶が現在と交差しつつ物語は進行していく。今回の映画祭では最年少の監督ということだが、やはりインデペンデントというかアマチュア感がぬぐいきれない気がする。まあ、映画の実験的なトライアルで「やりたいことはわかるんだけど」というような大学映研の作品でよく見られるような独りよがりな空気感みたいなものがスクリーンから漂ってしまうんだよな。もっとも監督自体もシカゴの大学で映画を学んでいた留学生ということなのだが。
シンガポールの映画環境は確かに作家を輩出するようなメカニズムにはないことは、2003~2004年で現地で映像の仕事に就いたことがあるので身にしみて判っている。政府も金儲けだけではなく文化的な側面からも人材育成に力を入れ出しファンドを作ったりしてみてはいたがなにせ土壌が無い。自国作品を発表しそれをどこでどれだけの集客が得られるかと考えれば産業として根付くにはまだまだ時間がかかるのだろう。そんな中でもエリック・クーやロイストン・タンといった才能も台頭し、ここ何年かは商業作品としても評価されだしてはいる。このリャオ・ジェカイ監督がその一角に加われるのかどうかは、自分のやりたい映像表現の域で自分の自己資金だけで作品を「つくってみました」という世界から、もう一歩踏み出す必要があるのだろう。
映画の環境的な部分で、作品を生み出していくことの苦労を考えれば彼のような挑戦は、その心意気や良しではある。今後の作品に期待、ということか。


「日本映画・ある視点」に出品された作品から今回選んだ1本が、すずきじゅんいち監督のドキュメンタリー『442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』。第2次大戦で合衆国に忠誠を誓い戦場に送られた日系兵士たちの足跡とその知られざる戦功と悲劇を、当時のフィルムと80半ばを超えた現在の老兵のインタビューからたどって行くもの。442部隊の兵士たちには今から20年ほど前に雑誌の企画で取材したことがあって、その時の強烈な印象は今でも忘れ難い。米国民としての自負と父祖の世代の出自=アイデンティティ、家族を収容所に残し、根強いレーシズムとそれを払拭するために血であがなった戦い。そんな宿命を背負って戦中、戦後を生きてきた人たちの苦難の歴史は、当時まだ若かった自分には大きな衝撃だったことを昨日のように覚えている。今回の作品に登場する老人たちを観るにつけ、あの時取材した人たちの消息を思い起こさせられる。取材時よりさらに高齢の域に達したあのときの人たちはまだ元気にしておられるのだろうか。
当時の取材のきっかけはNHKの大河ドラマ「山河燃ゆ」(原作・山崎豊子「二つの祖国」)であったが、せっかく日系米国人の歴史にスポットを当てながら、まったくしょっぱい日本人視点の娯楽作にとどまってひどく残念な思いがしたものだ(実際アメリカの日系社会からは抗議が殺到した)。そういう意味で映画的にどうこうでなく、彼らの真実の姿をドキュメンタリーで正面から向かい合った試みにまずは敬意を表したいと思う。
多くの犠牲を払ったボージュの森でのテキサス大隊救出やブリエア、ダハウの解放という歴史的事実も日本の若い世代にぜひ知ってもらいたいと思う。
すずき監督の次回作はMIS(陸軍情報部)の語学兵として太平洋戦線に赴いた二世兵士たちがテーマだという。これで一昨年の『東洋宮武が覗いた世界』と併せて日系米国人三部作となるそうだが、語学兵に関しても個人的に442同様にインタビューしたことがあり、彼らが日本兵の遺体から収集した手紙類の実物に接し涙したこともある。日系人を通して日本人を見つめ直す意味でも大きな意義があると思う。こちらも是非期待したい。


映画祭最後の作品となったのは黒澤明生誕100年記念の「KUROSAWA魂inアジア中東」という、黒澤に影響を受けたと思われるアジア作品のアーカイブからの公開で、台湾の巨匠・王童監督の84年の作品『逃亡』(原題名「策馬入林」)。時は中国の戦国時代、野武士が跋扈し村人たちから糧食を簒奪するという背景は確かに『七人の侍』に似ているが、黒澤と違うのは野武士サイドから物語が描かれていること。襲われる村が官兵を雇い、反撃された主人公たちは散々な目にあう。主人公は村から人質に取った娘を手籠めにするがいつしか心通わせる仲になったかと思えば手痛い裏切りにあう。野武士であるのもなかなかつらいのである。映画のラストでただただ無表情に主人公の野武士を追う殺し屋のような男の存在が、時代そのものの圧力のようで不気味だ。王童監督と言えば『稲草人』『無言的丘』『香蕉天堂』『紅柿』といった台湾近現代史を描いたものしか観たことがなかったが、今回の『逃亡』は見応えある一大武侠劇で凄く楽しめた。映画祭でのこういう特集上映はありがたい。

というわけでしょっぱなに不快な政治的アクシデントがあったり、期間中通じて悪天候に見舞われた第23回の東京国際映画祭ではあったが、仕事の合間を縫ってスケジュール調整に苦心したかいあって例年以上に手ごたえのある映画に出会え、楽しい時間を過ごせた1週間であった。

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