2024年9月26日木曜日

三重海軍航空隊跡地を訪ねて

 先日、仕事の合間に時間が出来たので伊勢神宮に参拝にすることにした。私自身が来年に古稀を迎えるので、おかげ参りをするにはいいタイミングじゃないかと思っていたのと、その足で亡き父親が青春の一時期を過ごしたという津市香良洲町にあった三重海軍航空隊の地を一度訪れてみたいという理由もあった。伊勢神宮で国家の安寧を祈った翌日、宇治山田駅から久居駅までローカル線で移動し、久居駅から一時間に一本の間隔で運行している三重交通バスで香良洲公園を目指す。ただなかなか時間に合わせた乗車がうまく行かず、猛暑の中バスの待ち時間がかなり生じてしまったのには閉口した。久居駅周辺は何もない田舎の駅で立派なタクシー乗り場はあるのだがそのタクシーの影もない。待つこと40分余りようやく到着したバスに揺られること約50分、人気の全くない海辺の香良洲町に着き大汗をかきながら現在は歴史資料館になっている三重海軍航空隊跡へと歩を進めた。バス停から10分ほどで3階建ての比較的新しい歴史資料館の敷地に立つ当時の三重海軍航空隊の大きな門柱(移築したそうである)に迎えられた。

三重海軍航空隊は海軍の飛行機搭乗員を育成するために、霞ケ浦に続き当時中学生年代の予科練の少年たちの基礎訓練をするために昭和17年に開隊した施設で、翌年には学徒動員により徴集された予備学生や予備生徒といった士官候補生らも入隊することになる。私の父は昭和19年の2月に第一期飛行専修予備生徒(大学予科、高等専門学校出身者)としてこの門をくぐったはずである。ここで飛行適性や座学、そして軍人としての精神を徹底的に叩き込まれ、半年後に飛行実地訓練で台湾の虎尾航空隊へ配属されていく。

歴史資料館は戦後関係者によって若桜会館という名で建てられ平成10年に市に寄贈され、隊員たちの遺品、戦争遺構に加え戦時下の中部地方の戦災の記録や生活の様子などの資料も展示し平和歴史教育の施設として整備されたそうである。3階建ての資料館の玄関を入ると、平日の午前中ということもあり閑散としており、私の訪問に気づいた館員の年配女性が慌てて出迎えてくれた。館内の参観手順を聴いた後、1階には航空隊の概要や年表、戦後伊勢湾で引き揚げられた零戦のエンジンなど、2階は一般的な戦時下の歴史を物語る写真や資料、そして3階で航空隊の隊員たちの遺品や遺書、などの展示を見て回った。たったひとりで割と広い静寂に包まれた館内を回るのもちょっと淋しい感じがしたが、何十人もの戦死者の遺影と向き合っていると一人ひとりから語りかけられているようで、なんとも心が苦しくなる。あらためて彼らの鎮魂への思いと平和への思いを新たにした。

1階のフロアに戻ると館員の女性から資料館のあらましや床に貼られた当時と現在の位置関係がわかる地図の解説を受ける。来館の目的を尋ねられ、父親が在隊していたことを告げると事務室の奥の方から分厚い在籍者名簿(戦後関係者によって編纂されたもの)を持ってきてくれた。予科練と違い予備学生は比較的少ないのときちんとア行から名前順に整理されているので、すぐに父親の名前を見つけることが出来た。戦後80年近い時間が経過しながらも確かにこの地に居た父の存在の証が遺されていることに感じ入るものがある。見れば名簿には多くの付箋が張られており、ここに訪れた多くの元隊員や遺族の思いも伝わってきた。すでにほとんどの在隊者は鬼籍に入り、これからは兄弟子供たち遺族も段々と減っていくのだろう。記憶の風化は止めることはできないのかもしれない。ただ、願わくばこの資料館がさらに存続し歴史の一端を後世に伝え続けていって欲しい。

親切に対応していただいた臨時雇いだという館員の女性に挨拶をし、外に出ると照り付けるような日差しとともに秋の気配も少し感じる広い広い青空が広がっていた。












2024年9月3日火曜日

週間家呑み日記8.1~8.31

 ●8月1日

昭和の3人娘のひとり園まりさんの訃報。『逢いたくて逢いたくて』はなぜかよく口ずさんでしまう。名曲だということだろう。同名の日活映画の彼女は人気絶頂の頃ですごくチャーミングだった。献杯。

●8月2日

パリ五輪の男子サッカー家呑み観戦。準々決勝で日本は強豪スペインと対戦し0-3とここで敗退。結構攻められたがチャンスもあった細谷の振り向きざまのシュートがオフサイドに判定、これが認められていればどうなっていたか分からない。VR判定でつま先がわずかにラインを超えたということだが、本来のオフサイドを反則とするルールの意義を考えれば、いかがなものだろうか。

●8月3日

パリ五輪の女子サッカー家呑み観戦。こちらも準々決勝でなでしこジャパンはアメリカに0-1で敗退。壁は高いな。

●8月6日

広島の79回目の平和祈念式典。38年目の際に広島を現地ルポしたのを思いだす。まだ20代の時だったがつい昨日のような気がする。アメリカではカマラ・ハリス副大統領が民主党の次期大統領候補に指名、トランプにどこまで対抗できるか。

●8月8日

宮崎日向灘でマグニチュード7.1の大きな地震発生。久々にスマホのアラームが鳴り響き驚く。気象庁より南海トラフ臨時情報が発令。近々に関東にも震災の日が訪れるのだろうか?

●8月9日

長崎平和祈念式典にイスラエルを招待しないことに対しG7各国代表が一斉に出席拒否。これは長崎県が正しい。同盟国って言ったって実情はこんなもんだ。被爆者に対する哀悼や平和への願いなんて気にもかけていないのだろう。

●8月10日

連日猛暑日が続くためどうにも眠りが浅くなるのだが、幸いにパリ五輪の早起き生観戦にはちょうどいい。この日は陸上女子やり投げで北口榛花が金メダル獲得。フィールド競技の金メダルは女子では史上初の快挙。神保町『明治屋3rd』で阪神戦見ながら一杯。

●8月13日

新宿のSOMPO美術館で開催中のロートレック展鑑賞。有名な作品はほとんど網羅しており思ったより素晴らしい展覧会であった。ついでと言ってな何だが損保ジャパン自慢のゴッホの「ひまわり」常設展示も観ることが出来たのもラッキーだった。

●8月14日

岸田首相が今秋の総裁選不出馬を表明、いまさら遅過ぎの感はあるが次の候補にも期待は一切できないのが哀しいやら腹が立つやら。

●8月18日

炎天下昭和のKawaiiの原点たるデザイナー中原淳一展を渋谷の松濤美術館で鑑賞。以前神保町で小さな革製品のお店をやっていた中原の親戚(甥御さんだったか、いとこだったか?)の小父さんのことを思い出したりする。外の暑さで出るのが嫌になり夕方まで美術館に居座る。アラン・ドロンの訃報、献杯。

●8月19日

歌手高石ともや(友也)の訃報。中学生の頃多大な影響を受けた一人。ベトナムのトリン・コン・ソンの楽曲を日本に紹介した功績は大きいのではないだろうか。『想い出の赤いヤッケ』をYouTubeで聴きながら献杯。

●8月21日

仕事終わりに久々に新宿『Rusty's Bar』で暑気払い。

●8月22日

録音スタジオのCE社の人たちとディレクターのOT氏、AN氏と車で成田山まで遠征し鰻の名店『川豊』で会食。午後3時過ぎの到着だったため、待つこともなく堪能。途中ゲリラ豪雨に見舞われたが天気も回復し、新勝寺での参拝も出来た。

●8月24日

ドジャースの大谷翔平が本塁打、盗塁の40-40を難なく達成。MLB新記録どころか50-50という驚異的な記録達成も現実味が出てきた。

●8月26日

元サッカーイングランド代表のスウェーデン人監督スベン・ゴラン・エリクソン氏の訃報。献杯。

●8月31日

吉祥寺UPLINKにて2019年香港の民主化闘争を記録した『香港 裏切られた約束』を観賞。上映後のトークイベントで亡命中の監督に、元立憲民主党議員だった弁護士の菅野志桜里さんと元防衛相の中谷元議員が登壇。人権に関しては超党派ということだ。香港のクリエイターたちの自由への戦いの継続に敬意を表す。