2022年8月31日水曜日

私のムーラン、私の明日待子

8月11日に放送された(29日BS完全版再放送)NHK特集ドラマ『アイドル』。古川琴音さんが戦前一世を風靡した「ムーランルージュ 新宿座」のトップスターだった明日待子を熱演。ドラマ自体も実際に伝えらえていた「ムーラン」の逸話をうまく構成してあり結構楽しめた。 ドラマの中でもあったのだが、学徒出陣する大学生たちが今生の別れにステージに詰めかけるシーンに、わが父親もこの場にいたのかなとふと思ったりした。まさに昭和18年当時父も東京で学生生活を送っていて、学徒動員令で軍に駆り出されていたので、ひょっとしたら「ムーランルージュ」にも足を運んでいたのかもしれない。

「ムーランルージュ 新宿座」は空襲で焼失してしまい、戦後華僑の実業家・林以文氏の手によって再建されたがわずか6年でその歴史に幕を閉じてしまった。その後、林氏は歌舞伎町に地歩を築き、恵通企業(ジョイパックグループ=現在のHYUMAXグループ)として映画館を中心とする娯楽ビルの経営に着手、今に至るまでその歴史を紡いでいる。 林氏はやはり思い入れがあったのだろう、地球会館ビル(現HYUMAXパビリオンアネックス)に「ムーランルージュ」名を継承した当時流行した大型のグランドキャバレーを経営している。

私にとって「ムーランルージュ」の思い出は、まさにそのグランドキャバレーであった。80年~81年頃だったと思うが、当時仕事でテレビ局の人に連れられて行ったのが最初で、その時、接客してくれた社交嬢をすっかり気に入ってしまい、その後も足しげく通い指名することになった。リナという源氏名で背が高く紅いドレスがよく似合うダンスの上手な娘だった。そう、彼女は一時期私にとっての「ムーラン」の明日待子だった。 その後しばらくして、いつの間にか大箱のグランドキャバレーはすたれて時を置かず「ムーランルージュ」も閉店してしまい、リナ嬢の消息も分からなくなってしまった。現在はもう還暦過ぎてしまったはずだが、どこかで元気で暮らしているのだろうか? ちなみに、ドラマの主人公だった明日待子さんはその後北海道にわたり90歳を超える長寿で最近亡くなられたそうである。

ドラマを観ていて色々と思い出してしまった。

2022年8月2日火曜日

週間家呑み日記7.1~7.31

●7月1日

40年前の7月、勤めていたT通信社を辞めてK書店で新雑誌を立ち上げたメンバーが再会した。場所も当時勤務していた場所と思い出が深い新橋/銀座に近いコリドー街の高速道路下の居酒屋『福栄組合 銀座店』。当時のメンバー11名の内、出席は6名。1名は日程が合わず、2名が連絡がつかず、2名が物故者であった。2名の物故者TC氏、TG両氏への献杯で開会、皆の近況や知人たちの消息、持病、年金、などなど年寄りの話題で和気あいあいと語り合った。次回はいつになるか分からないが無事再開できることを祈念して散会。ゲスト出席したデザイナーのOG氏を誘ってBAR『FAL』に流れる。

●7月2日

ラグビー日本代表が世界3位の強豪フランス代表を迎えての第1戦を生観戦するため、ラグ友のTO嬢と豊田スタジアムまで遠征。前日名古屋は40度を記録したというだけあって猛暑の豊田は流石に強烈な日差しだったが、幸い席は日陰でホッとする。試合は前半は大健闘して同点で折り返したが、後半先にばててしまった日本と地力の差が出始め立て続けに得点を許し23-42で終了。若い選手で構成されたフランス代表だったがさすがの強さだった。帰りは名古屋で新幹線の乗り継ぎ時間がそれほどなかったので、地元飲みはあきらめ、『矢場とん』の駅弁とビールを買い込んで社内呑み。次週の国立での第2戦に祝勝会は延期とすることに。

●7月3日

前日の帰宅時からスマホの調子がどうもおかしいと思っていたらKDDIの通信障害ということで合点がいく。夕方復旧というアナウンスだったが、結局深夜まで通信がスムーズになることはなかった。

●7月5日

デザイナーのTK氏、編集者OK氏と久しぶりに神保町呑み。中華圏に強い人たちだったので、在日香港人の客も多い『粤港美食』で焼鴨や点心やら香港飯を堪能。今後本場で味わうことはあるんだろうかとふと思う。BAR『KLIN BLUE』にハシゴ。調子子いてKAVALANを何倍も飲んですっかり散在してしまう。

●7月7日

服飾デザイナーのレジェンド西田武生氏の訃報。氏の末娘さんは幼稚園で一緒だったので、当時生前の母親と西田家とは仲良くしていただいた。そんな昔のことを思いながら献杯。

●7月8日

朝、西武池袋線がパンタグラフ事故で全面運転休止。1日家にいることに。取材ヘリがうるさく飛ぶ中ニュースを見ていたら、安倍晋三元首相が銃撃されるという衝撃の中継が飛び込んできて驚愕。西武線の事故などどこかへ飛んで行ってしまった。安倍氏は政治的には全く組することも無く評価もしていなかったが、襲撃犯の素性が明らかになってからなんだか哀れに思えて来て複雑な心境に。ただ官房長官時代に父親の葬儀の折に兄の仕事の関係もあって駆けつけてくれた義理はあったので、ご冥福だけは祈ることに。この日ハリウッド俳優のジェームス・カーンの訃報も。献杯。

●7月9日

ラグビー日本代表対フランス代表の第2戦で国立競技場へ。前の試合の反省を活かしキックも多様化して試合は一進一退の接戦に。リードされた終盤に攻め立てた日本だったが、最後のタタフ選手の逆転トライもノックオンでぬか喜び、惜しい試合を落とした。同行のTO嬢、NO嬢と新宿へ移動し三丁目の居酒屋『呑者家』にて反省会。

●7月10日

参議院議員選挙。安倍氏の死亡で国葬論議が出る中、同情票を危惧していたが、というより野党のバラバラ感が露呈し例によって自民党の圧勝に嘆息。唯一の救いは投票した立候補者が当選したことくらい。

●7月14日

仕事の打ち合わせで編集のSM嬢、TM嬢が来社。会議終了後、最近閉店した店の後に居ぬきで新しく入った居酒屋『串八珍神保町店』で軽呑み。

●7月15日

30年ほど前に衛星ラジオ放送の立ち上げたメンバー7名と自由が丘の居酒屋『くいもの屋わん』で同窓会。3500円で呑み放題、料理も味はともかくも量は充分。大酒のみのメンバーばっかりなので完全に元とったろう。安っ!この日フォークで一世を風靡した山本コウタローの訃報。音楽関係者ばかりだったので当然献杯。それにしても「岬めぐり」は名曲だった。

●7月19日

フィギュアの羽生結弦選手が競技生活からの引退を表明。サッカーE1選手権で日本代表と香港代表の一戦。『明治屋3rd』でテレビ観戦呑み。

●7月20日

国立競技場で来日中のパリサンジェルマン対川崎フロンターレの親善試合を観に行く。花試合にしてはチケット代は高い気がしたが、メッシやネイマール、エムバぺの素晴らしいプレーには見合う金額かもしれない。狭い席を縫うのが面倒くさかったが我慢できなくなってビールを買いに。旨し!

●7月22日

50年代~60年代のドイツサッカー界のレジェンド、ウーベ・ゼーラーの訃報。エネルギッシュな闘将というイメージの選手だった。献杯。

●7月23日

4度目のワクチン。いつもの接種会場の予約が取れず、ちょっと遠くの(といって歩いて15分くらい)卒業した中学校の隣の東京海上スポーツセンター会場でファイザー社製を接種。副反応はそれほどないのだが大事をとって休肝日に。

●7月25日

女優の島田陽子の訃報。この人も、先日亡くなった安倍晋三元首相も、2代目若乃花も(18日)同年代。改めて自分の年齢を思い出さされてしまう。献杯。

●7月26日

仕事の打ち合わせでSM嬢、TM嬢が来社。例によって会議後に水道橋の居酒屋『とりいちず水道橋店』で軽呑み。注文はスマホのQRコードでという対応に感心する。ていうかスマホのリテラシーの無い年寄りにはハードルが高い(汗)。

●7月27日

サッカーE1選手権の対韓国戦を『明治屋3rd』で観戦呑み。一応優勝が懸かっていたが相馬、佐々木翔らの躍動で3-0で一蹴。若い年代とは言えこんなに弱い韓国代表を観るのは初めて。明日の韓国メディアの嘆き節が目に浮かぶ。酒ウマ~!

●7月28日

新型コロナ感染症は変異に変異を重ねて第7波。この日の東京は4万超えの感染者、全国では23万越え。WHOのステートメントでは1週間当たりの新規感染者数は世界一らしい。といっても志望率は低いので世界各国はもう実数計測を律儀にやっているとは思えないので世界一も眉唾物だが。これが季節要因で今をピークにまた下がってくれればいいのだが。