去る8月26日。志村武紀君が亡くなった。享年62歳。
自宅マンションの出火事故で煙による一酸化中毒だったという。
志村君は、電通勤務の広告マンとして、もう30年以上の付き合いだった。最初の出会いは、82年くらいだったか、当時、勤務していた『進学ガイド』誌の特集記事で「名門校の光と影」という特集企画で開成高校のOBとしてインタビューを受けてもらったのがきっかけである。同僚だった朝井泉君から、彼の幼馴染でうってつけなのがいるということで紹介された。
電話でのこちらの依頼を快諾するや、早速、彼のクラスメイトを4~5人ブッキングし、しかも企画に沿ったように東大出身者、その他の大学の出身者と取り分けて人選してくれ会場設定までやってくれ、さすがに電通マンと感心したものである。
その後、私自身が角川書店に移った際、志村君に請われ彼の担当であったリクルート社の求人誌に、バイト募集の告知を打ってあげたことで、編集者と広告代理店マンという仕事上の関係が始まり、気が付けば今に至るまで何かあると必ずお互いを利用し合うような関係になった。
私が担当する雑誌に、リクルート社、伊藤ハム、武田薬品工業、第一ホテル東京ベイ、ローソンチケット、オラシオン、日立、などなど、幾多の広告出稿をしてもらい、こちらからも台湾角川やシンガポール・ウォーカーアジア社の事業立ち上げでの広告キャンペーンをクライアントとしてプロジェクトの委託したこともある。また個人としても愛・地球博やJICAのキャンペーンを手伝わせてもらったこともあった。
特に彼自身が、学生時代から音楽活動にのめり込んでいたこともあって、仕事でも個人的でも音楽の話は仕事抜きで付き合わされたものだ。ビージーズ、モンキーズ、ウォーカーブラザース、GS、ブレッド&バター、とこちらの好みを無視して、自分が好きな音楽のCDを何枚も送りつけられ閉口したのも今となってはいい思い出となってしまった。
最近のテーマは、定年後、いかに楽しい仕事を見つけ出していくかということで、精力的に動いていたように思う。しばらく音信がなかったが、つい先月、電話がかかってきて、そもそも知り合うきっかけとなった朝井泉と3人で何年振りかで呑む機会を作ってくれた。
今考えると、まるで、この30有余年の付き合いの、総まとめをするかのように、である。
通夜だった昨夜、会場からの帰り道で志村君との仕事で知り合った伊原氏につきあってもらい渋谷で、彼を偲んでロックをレコードでかける古い店で献杯した。
リクエストした”You've got a friend” どこかで聴いてくれただろうか?
合掌
2 件のコメント:
突然のコメント失礼致します。
志村武紀の息子の志村拓海です。
昨日は10/20父の64歳の誕生日でした。
興味本位で父の名前で調べてみたところ、このように綴って頂いていることを知りました。
有難う御座います。
CDの事などやはり...と思う部分もあり、少し懐かしい気持ちで読ませていただきました。
自分はここ2、3年と父と反発することも多く、上手くコミュニケーションが取れていなかったのですが、このような事故で突然居なくなってしまったと思うとどこか寂しい気持ちもまだ残っています。しかし、このように父のことを書いてくださりどこか嬉しい気持ちにもなりました。寂しがり屋?な父も喜んでいると思います。
改めて有難う御座います。
返信は不要です。
志村拓海
拓海さん
閲覧いただきありがとうございました。拓海さんのことはよく話してもらいましたので、とても嬉しいです。
返信不要とのこと、多くは書きませんが、
ただ、お父様選曲のCD、今も時々聴いては若き日々を思い出すこともあります。
どうかこれからもお元気で。
コメントを投稿