2015年2月26日木曜日

時空を超えて祖父との対面を果たす

以前、当ブログで祖父・秋山光清の著書を紹介したのだが(2009年9月4日)、祖父の地元・福岡県遠賀郡芦屋町のYさんという方から、芦屋町で開催されている山鹿素行展の情報とともに、生前の祖父・光清が写っている写真を送っていただいた。昭和の二宮尊徳と称された篤農家・安高團兵衛氏のご遺族の手元に保管されていたものだとか。

時は皇紀2600年(昭和15年)に神武天皇社に地元の名士たちと瑞兆旗を奉納した際に撮影された集合写真で、白い大島を着た人の3人右に顔をのぞかせているのが祖父の姿である。祖父は私が生まれた翌年の昭和31年に84歳で没したので、もちろんほとんど記憶にない。昭和15年というと68歳の頃で、実際自分にも何となく似ているようにも見え何とも感慨深いものがあるし、時を超えて対面することができて何とも不思議な気分でもある。

歌人として歌碑まで残した祖父の名に恥じないように、わが人生の晩節を汚さないように心がけなければと気分も引き締まる思いだ。

写真を提供していただいた、安高團兵衛氏のご子孫の方、送っていただいたYさんにあらためて感謝したいと思う。





2015年2月23日月曜日

アカデミー賞雑感

今年のアカデミー賞は、結局作品賞、監督賞は『バードマン』に決定。主演男優のエディ・レッドメイン、主演女優のジュリアン・ムーアもさることながら、確かに獲るだろうなあと納得だったのが『6才のボクが、大人になるまで』のママ役を演じたパトリシア・アークウェットの助演女優賞だ。
 先日、ゴールデングローブを受賞しアカデミー賞の下馬評も高かったので観に行ってきたのだが、何年にもわたって撮影を続けた話題性や、家族の絆への感動というよりも、パトリシアの存在感に度肝を抜かれたw 若くしてデキ婚して、大学にいき直し、2度の離婚を経ながら2人の子どもを育て、大学の研究者の道を突き進む!という役柄をリアルに感じさせるたくましい肝っ玉母さんぶりにほとほと感心したものだ。テレビドラマシリーズで三人の子持ち役ということで体重を増やしたということのようだが、あのぴちぴちしていた『トゥルー・ロマンス』の頃が、いまとなっては懐かしく感じてしまう。
 個人的にはお姉さんのロザンナひいきではあるが、かつて彼女自身が感じていた妹からのプレッシャーを自身が監督した『デブラ・ウィンガーを探して』で語っていたが、完全にぶっちぎられてしまったな。
オスカー受賞スピーチでは女性の賃金格差に関して訴えるくらいの貫録、今後もこのオバさんパワーは要注目だ。

しかし公開時にオスカー最有力という宣伝文句に飾られていた『アメリカン・スナイパー』『ゴ―ン・ガール』や『フューリー』の無冠ぶりはかわいそうなくらいだった。まあ煽りのキャッチもちょっと考えなきゃね。

 

2015年2月2日月曜日

週間呑みアルキスト1.1~1.31


●1月1日
ここ何年か元旦は天皇杯と相場が決まっていたが、今年は国立の移転で1日中家呑みを決め込む。さて、今月中にはもう還暦を迎えるわけだが、全く自覚がないし59歳から60歳になったところで何かが劇的に変わるわけではない。ただ、思えば母親も60で他界したわけなので、まあ厄年ということでせいぜい節制に気を配らねばということか。

●1月2日
箱根駅伝観ながら家呑み。母校の往路優勝はやはり嬉しい。午後からはラグビーの大学選手権の準決勝。早明不在、慶応じゃ帝京の敵じゃない。面白くも無し。

●1月3日
箱根駅伝復路も驚異的な記録で総合優勝で気分良し。何本か祝電も。午後から兄の家へお呼ばれ、竹鶴17年を拝領。帰宅後早速封を切ってニュースを見ながら祝勝呑み。

●1月5日
本日より出社。早速大学時代の友人ED氏より、駅伝祝勝会のお誘いが入る。銀座八丁目の小料理屋『えざわ』で援団OBまじえ大盛り上がり。空手部OBが経営する八丁目のバー『alica』でまた乾杯。さらに七丁目のクラブ『ウィル』にハシゴ。エールを切ってカレソンを歌い他の客のひんしゅく買う。来年は大手町読売前集合を約す。

●1月9日
帰宅前に新宿の『t’s bar』へ立ち寄り。EB社のST氏AD氏と合流。

●1月12日
高校サッカー決勝戦、アジアカップ初戦パレスティナ戦で家呑み。アギ―レジャパンの真価を問われる大会だが、まずは快勝。まあ相手が相手なので割り引いて考えなければと思うが、確かに調子はいま一つか。

●1月15日
昨年末ひょんなことから久しぶりにアポイントを取ったA広告社のUD部長と、K社時代の後輩TZ氏交えて新宿二丁目の中華料理『荘園』にて会食。2月に訪台するUDさんに、美味しい店をレクチャー。すぐ近くの『t’s bar』で続き。

●1月16日
会社でアジアカップイラク戦観戦。最少得点差だが内容的には圧倒していた。ライターTM嬢が節分で貼る穴八幡神社の護符を持ってきてくれたので、神保町の中華ダイニング『SANKOEN』にて食事。『KLAIN Bar』で軽呑み。

●1月19日
KGカメラマンとK社の後輩WS氏、TN氏と市ヶ谷に新しくできたレストランビル内の居酒屋『伊達藩いろり屋』にて新年会。K社の状況もなかなか大変そう。出版業界の行く末を案じつつ次なる展開を真剣に考えねばと反省。

●1月20日
三番町のVD社のAO氏、IS嬢と近所のレストラン『タナカヤ』にてランチミーティング。何かうまく仕事につながればいいのだが。京橋で今年初の試写を観る。アイリッシュの気鋭の監督のジョン・カーニーの『はじまりのうた』。前作『ONCEダブリンの街角で』から舞台をニューヨークへ移すが、やはりテーマは音楽もの。主演のキ―ラ・ナイトレイが意外とギターや歌が上手いのに感心。会社で3戦目となるヨルダン戦観戦。なかなか調氏はいい感じだ。

●1月21日
小雪舞う寒い日。天王洲アイルのスポーツ新聞社へ企画の打ち合わせ。広告代理店J社のおごりで品川の『リブラボキッチン』へ。サラリーマンで満員、ボリュームあるリブを喰らう。

●1月22日
ひっそりと還暦を迎える。AS社KR氏より花束をいただき恐縮。さして感慨も無し。夜は大学時代の友人HT氏と新橋『いし井』にて新年会。銀座のBar『FAL』へハシゴ。

●1月23日
アジアカップ準々決勝UAE戦。なんと立ち上がりに先制され、圧倒的にゲームを支配しながらもなかなか1点を返せず、終了間際柴崎のミドルでなんとか同点に追いつく。延長も雨あられとシュートを打つものの詰めが甘くPK戦。本田と香川の両エースが揃って外して敗退。またぞろ決定不足病。こりゃもうつける薬なしか。むしゃくしゃするので隣の『明治屋2nd』へ憂さ晴らし。

●1月26日
世話になった先輩MT氏の訃報。会社勤め引退後故郷の栃木に引きこもっていたが年末に亡くなられたとのこと。連絡をくれたSM氏と落ち合って神楽坂の居酒屋『萬月』で献杯後、音楽好きだった故人をしのんで赤坂見附の『ミュージックラウンジm.』にてとむらいの歌合戦。合掌。

●1月29日
『明治屋2nd』でちょっと遅くなったが誕生日のお祝いをしていただく。あまりめでたく思っていないことを公言していたので、他のお客さんと合同の会だったのだが、色々な頂き物や、ケーキなどもふるまわれまずは感謝。

●1月30日
市ヶ谷のアルカディアにてK社の先輩TN氏の送別会。約30年前の創刊時のメンバーも集まって盛会。冒頭MT氏への黙とうもあったが、30年間を振り返るとすでに先に逝ってしまったメンバーも多い。それを想うとみんな歳をとったし時間の長さを感じる。後輩のTJ氏に誘われ西麻布の『PB』というBARへ。ここも近々店じまいなのだそうだ。TJ氏の歌う拓郎『私は今日まで生きてきました』が沁みる夜。