2012年3月27日火曜日
週間呑みアルキスト3.5~3.25
●3月5日
スポーツカメラマンのKG氏が打ち合わせに来社。ロンドン五輪のガイドブック制作のための取材下打ち合わせだが、なでしこくらいしか売りが無い状況でガイドブックの仕事が本当にあるのか不安。神保町の讃岐うどん屋『野らぼー』で食事後『明治屋2nd』で軽呑み。
●3月6日
しばらく会っていなかった神保町TK社のOK社長がふらりと現れる。飯でもどう?と誘うと、先日、呑み過ぎて正体を失い鞄を店に忘れてしまったので酒は少し控えている、というので食事メインということで近所の『華龍飯店』という街なか中華の店に行くことに。ここはフロアに中国人留学生のバイト嬢が2人いるのだが、2人ともとても可愛らしい。他の客も少なかったのでついつい怪しげな中国語でコミュニケーションをとっているうちにOK社長の手元の紹興酒の杯もどんどん空いていく。結局店を出る頃にはなんだか足元がおぼつかない状態に。人間そうそう変われないといういい見本ではある。深夜帰宅後に世話になっているFK誌のYD編集長が心臓の動脈圧迫で倒れて緊急入院し手術中という連絡を受け、一気に酔いがさめる。結局間一髪生命は繋がったとのいうことだが予断を許さない状況であるらしい。同世代だけに他人事ではない。
●3月7日
築地に移転した広告代理店DP社で打ち合わせ。途上国支援のフェイスブック制作の話で会議後、そのネタ探しという名目でスタッフ一同で赤坂のエチオピア料理『サファリ』へ繰り出すことに。トライしてみたかったラクダ肉のステーキはこの日は残念ながら入荷できていないということで、気を取り直しダチョウだのワニだのアフリカならではの食材の料理に挑戦。ドローワットというシチューやサンブーサ(いわゆるサモサ)はなかなかに美味。ビールはケニア産、ワインは南アフリカ産ですっかりアフリカ気分。もともとは新宿にあった有名店『ローズ・ド・サハラ』の人たちが赤坂に移転したということで日本人に合わせた味付けなのだろう。次回は是非ラクダを食らうと一同再挑戦を誓う。
●3月8日
しばらく音沙汰がなかったOK社長も会いだすと頻繁になるのが不思議。弊社の向かいのデザイン事務所ST嬢と帰りがけにバッタリ遭遇したので3人で水道橋駅西口の西安刀削麺の『鐘楼』へ食事に。ST嬢の会社の社長のaki氏も駆け付け久々のK社独立組神保町3社の顔合わせ会に。
●3月9日
某お台場のテレビ局報道部から仕事の依頼があり、顔合わせを兼ねて当方のスタッフのSM嬢と共に恵比寿のこじゃれた和食屋『雨後晴』という店で会食の招待を受ける。担当のTG氏と話をしているうちに住まいはどこという話になり、高校生までは同じ地元だったことが判明、高校は近隣の都立高ということなのでよくよく聞くとなんと中学が同じ!しかし盛り上がってTG氏があげていく先生の名前に全く聞き覚えが無い。歳を聞いたらはるかに年下だったので、さすがに先生がかぶらないのも仕方がない。しかしこういう場合最早ほとんどが後輩になってしまった。自分の年齢ををあらためて思い知らされる。
●3月10日
この日は東日本震災1周年にあたって復興支援のプロ野球イベント「日本代表対台湾代表」戦があるので、台湾野球に詳しいTK社OK社長を誘って東京ドームへ。試合自体は日本が圧勝したが台湾の選手たちも田中マー君から本塁打を放つなど健闘。試合終了後日本選手がそそくさと引き上げる中、台湾の選手たちは最後までグランドで手を振ってくれ歓声に応えてくれていたのに感動。12年前の台湾震災直後に当時のオリックスが来台した恩に応えるためという台湾側の発言に、当時現地で観ていたこともあって感無量。帰りに水道橋の台湾料理『台南坦仔麺』に行くと、試合帰りの台湾人留学生たちも大勢来ていてここでも友好ムード。本当に真の友好国はどこだ?って話である。しかし明日は震災から1周年、早いものである。
●3月12日
編集者仲間のKN氏と中国語のなんちゃってレッスンで高田馬場の中華料理『平大将』へ。行く途中コンビニで買ったホワイトデーのチョコを渡すとJN老師はすごく喜んでくれた。しかしこんなところで酒飲みつつテキストを呑んでも頭に入るわけもない。初心者のKN氏はともかくこちらはまあ会話が出来るだけ訓練になると思いたいが。
●3月14日
国立競技場でサッカー五輪予選最終戦であるバーレーン戦を観戦。比較的暖かい日とはいえ野外でのビールはやはりまだ寒すぎる。しかしながら駄目だ駄目だと思われているこの世代の代表もちょっとは根性を見せ見事というか、なんとかというか2-0で勝利し出場権を獲得。仕事があったので会社に引き上げ部屋を温かくしながらあらためてビールで一人祝杯をあげる。
●3月15日
ライターSM嬢が深夜に来社。腹が減ったと言うので遅くまで開いている水道橋の『揚州商人』で夜食。酒好きのSM嬢だが車で来ているのでアルコールは無し、こちとら車を乗らなくなって久しいがたまに車があったら便利だと思いつつもこういう時に酒呑みは車なんかのらんで正解と実感する。失礼して冷たい生を一杯。
●3月16日
香港に1年限定で仕事に就くライターのSZ嬢の壮行会をかねて編集者のAR嬢と3人で渋谷のイタリアン『チェントアーニ』で食事。ちゃんとしたイタメシは久しぶりでワインがガンガン進む。1年とはいえ香港で仕事できるのはちょっとうらやましい。自分もそろそろ日本脱出を真剣に考えたいのだが。
●3月19日
スポーツカメラマンKG氏と打ち合わせ。心臓疾患で倒れたYD氏のその後の病状などを報告する。われわれより何歳も歳が上のこのKG氏はいたって元気。この日も会社の近所の『東京アチコ―コ―』でワインを2本ばかり軽く開ける。団塊の人たちは実にしぶとい。
●3月25日
前週フルに呑みアルキしていたがこの週から徐々に仕事がたまってきてすっかり休肝週になっていた。この日は六本木の心臓外科専門病院に入院しているYD氏の見舞いにKGカメラマンを誘って面会にでかけてみる。待ち合わせ場所に現れたKG氏はなんと烏山の事務所から自転車で来ていたので驚くやら感心するやら。この人だけは病気で倒れることは無いだろうな。YD氏は話によると意識はもう戻っていてもう会話はできる状態ということだったが、すでに車いすに乗っていてさすがに声に力はないがつい先週まで生死の境をさまよっていたとは思えない。その回復具合に胸をなでおろす。帰りに天気も良かったので病院の隣にあったビアカフェ『アウグス』でKG氏と美味しいビールでYD氏の生還を祝いとりあえず乾杯。春もいよいよそこまで来ているようだ。
2012年3月17日土曜日
感情移入できないのは?
今週観た試写は『アンネの追憶』(2009年 イタリア)。
これまでアンネ・フランク一家の隠れ家での生活は「日記」を通して知られていたが、その後アウシュヴィッツからベルゲン・ベルゼン収容所へ移送され15歳9カ月で亡くなるまで、どういう過酷な収容所生活を送ったかを描いた作品である。彼女の友人で収容所から生還したハンナ・ホスラーの追想「Memories of Anne Frank」をベースに映画化された。監督のアルベルト・ネグりン自身もモロッコへ亡命したユダヤ人2世だそうだ。全編、ホロコーストの告発と人間の原罪への問いに満ちた映像に貫かれていて、映画の冒頭のアンネのはじけるような若さに満ちた日常と、アウシュヴィッツ護送後の過酷な姿の対比はなんともいえずに心に響いてくる。
ただ、主演の新星ロザベル・ラウレンティ・セラーズは確かに熱演なのだが、(ことさら悲惨さを強調することもないのだろうが)その若さの魅力自体が後半の収容所生活のリアル感を若干薄めてしまっているのは仕方がないのかもしれない。ただ1959年のジョージ・スティーブンス監督の『アンネの日記』を中学生の頃初めて観た時の感動に比べればいまひとつ感情移入できなかったのは、歳を経て自分自身の感受性がすっかり鈍ったということなのだろうか。学校の机に“それでも人間の善意は永遠に失われないと思っています”という彼女の言葉を彫刻刀で刻んだりしたことをふっと思い出した。それにしてもあの時のミリー・パーキンスは本当に美しかったが、その後作品に恵まれなかったのも、アンネの清純なイメージが強すぎたからなのかもしれない。
今週観た試写2本目は『恋と愛の測り方』(2010年 米・仏)。ニューヨークを舞台にキ―ラ・ナイトレイとサム・ワーシントンの若い夫婦が、昔の元カレと、同僚の女性と、お互いによろめいてしまう一夜を描いたちょっとホロ苦いラブストーリー。監督・脚本はテヘラン生まれのイラン系!米国人マッシー・タジェディンという女性。しかしなあ、ダブル不倫とはいえこんな凡庸なストーリーを2時間近くも見せられてもなあ…。これなら最近のNHKの『セカンドバージン』とか日本のテレビドラマの方がより手が込んでるぞ。ニューヨーク市の映画ファンドを利用するためだけ撮っちまったんじゃなかろうか、と思わず邪推したくもなるな。あえて収穫をあげれば旦那の浮気相手のエヴァ・メンデス(『最後の恋のはじめ方』)は好みのタイプかも。深夜のホテル内のプールでのラブシーンはちと萌える。
2012年3月9日金曜日
週間呑みアルキスト2.13~3.4
●2月13日
お台場CXにて会議。この日はA誌の初校戻し。昔の会社の部下だったAS氏がひょっこり会社に顔を出したので神保町『明治屋2nd』で軽のみ、新宿3丁目『t's bar』と引っかかりながら帰宅。
●2月15日
A誌の校正作業。深夜に編集担当のSM嬢、TM嬢、KJ氏と神保町白山通りの『ヴェジタリアンⅡ』で食事。
●2月16日
昭和の大女優の一人淡島千景さんが死去。帰宅後小津監督の『早春物語』をおさらいしながらちびちびウイスキーをなめながら往く昭和を偲ぶ。
●2月20日
桜新町のデザイン事務所に校正を届けるついでに駅前の洋食屋『ステッキ』にて夜定食&ビール。この校正戻しでとりあえず仕事の山場は越えるはず、ということで少し気が緩む。ビールが美味し。
●2月21日
夕方より築地の広告代理店DP社にて打ち合わせ。終了後新橋駅ビル内の『ビーフン東』にて食事後、会社方面に戻らんと店を出たところ同ビル内にある『BAR LINK』の美人ママさんとバッタリ遭遇。ということで顔を出さないわけにいかなくなり予期せぬ寄港。
●2月22日
曙橋のデザイン事務所MM社にて打ち合わせ後、編集SM嬢、MM社OG社長、女性スタッフ2名と四谷荒木町の串焼き屋『一蕃鶏』で会食。この日は五輪代表のマレーシア戦の中継があるため2件目の誘いを断り速攻で帰宅。
●2月23日
編集者KN氏と彼が新しく作る事務所候補の場所に同行。帰りが一緒の方向なので練馬で途中下車し居酒屋『たく庵』にて地元呑み。
●2月24日
せっかく搬入したA誌だったが、一部ページのミスでクレーム発生。不可抗力とはいえ後味悪し。夜はかつての職場仲間たちと久々の飲み会が開催されるので思いっきり憂さを晴らすことに。総勢10名にてかつてのたまり場だった新宿三丁目の『バクライ』(店の経営は変わってしまったが)に集合。後半さらに加わったK社現役の若手(自分から見て)編集者たちと場所をかえて『呑者家』で朝まで呑み倒す。ぼろぼろになって朝帰り。
●2月28日
A誌の発送業務で来社した編集SM嬢と食事。神保町はすずらん通りの居酒屋『八吉』であんこう鍋をつつく。〆の雑炊で満腹。
●3月1日
クレーム発生したA誌を修正ヴァージョンを急遽増刷。しかしこともあろうにその修正増刷分で印刷所がさらにミスる最悪の展開。こうなりゃもう開き直るしかないと覚悟を決めて夜はさっさと呑み会に。会社の近所の焼き鳥ダイニング『ぼんちゃん』にて新潟の造り酒屋の若旦那HS氏、かつてP誌で部下だったAS氏、WB嬢、仕事仲間の編プロ社長NS氏が参集。
●3月2日
クレーム処理の一日、なんとかしのぎきる。呼びつけられたお台場から新橋に戻り、編集のTM嬢と気になっていた中華料理店『KIKI』に開店直後から入店し憂さ晴らし。店特製の胡椒饅頭を賞味したがなかなか美味い。
●3月3日
Jリーグ開幕シーズンを控えて前年リーグ王者と天皇杯王者が雌雄を決する『ゼロックススーパーサッカー柏対FC東京』を国立競技場に観戦。この日はFC東京の営業だったNM氏よりの招待だったので一応道義上東京応援であるが結果は柏が両外国人の活躍で勝利。しかしながら暖かい春を感じる一日で天候的には救われる。同行の『明治屋2nd』マスターご夫妻にIM嬢が加わり神宮外苑の『ロイヤルガーデンカフェ』で軽くビールを飲んだ後、信濃町のペルー料理『TIA SUSANA』で食事。たまたま店内では日本サッカー狂会の総会をやっていて、彼らの北朝鮮アウェイ応援旅行の映像を観賞。さらに荒木町のBAR『ハンダヒロコ』で昭和歌謡に浸りながら長い一日を締めくくる。
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