2012年2月26日日曜日

雪の重み


この冬の異常なまでの降雪は各地で大きな被害を出しているが、23日、北海道夕張市美術館の屋根が雪の重みで崩落しかかっているというニュースに驚いた。

夕張市美術館の責任者として長きにわたって心血を降り注いできたU前館長は、今から30年ほど前に世話になった人で、当時、東京で編集者をしていたU氏から若かった小生は大いに薫陶を得たものである。その後、郷里の夕張に戻って以来、夕張市美術館を支えてこられた。市の財政破綻で管理運営会社の傘下になった後は、南支所に移られて地元のためにまだまだ頑張っていられると聞いている。

10年ほど前に夕張映画祭の取材に出かけたとき、美術館を覗いて職員の方に来意を告げると、昼の食事中にもかかわらず飛び跳ねるように走って会いに出てくれて「いつか来てくれると思っていたよ。昼飯食ったか?これ半分くわねえか?」と食べかけの弁当箱を差し出して歓待してくれた。本当に本当に優しい心根を持つ先輩である。

U氏が手塩にかけて管理してきた貴重な美術品の数々も心配だが、最後まで町の文化の灯を消すまいと頑張ってこられたU氏の思いも雪の重みの中に埋もれそうな気がして悲しい気分になってくる。
今後再び立派な美術館として再生することが出来るだろうか?厳しい地方経済の現実の前で、どこまで文化が護れるのか?

雪深き夕張の地に早く春が訪れることを心のそこから願って止まない。

2012年2月14日火曜日

週間呑みアルキスト1.23~2.12


●1月23日
前日57歳の誕生日。取り立てての感慨もないがなんだか50代の時間の速さをあらためて感じる。この日『明治屋2nd』に立ち寄るとシャンパンの振る舞い酒があった。ま、いいこともある。

●1月24日
恵比寿の居酒屋『四十八漁場』にてE誌恒例の新年会。E誌自体は数年前に休刊になったのだが編集者同士年1回の新年会は続いている。ことしも1年ぶりにこのためだけに会う人たちと交歓。皆2次会に流れて行ったが入稿のため帰社することに。帰社しても仕事にならないのはわかっちゃいるのだが。テオ・アンゲロプロスの訃報が届く。

●1月26日
KGカメラマンとKJ氏と共に四谷『徒歩徒歩亭』で会食兼打ち合わせ。今年の夏のロンドン五輪企画を話しあう。いつものように『3circle』に流れる。

●1月27日
夜遅くになってSM嬢がA誌の入稿スケジュール等で来社、打ち合わせ後会食に。しかしながら遅い時間からの会食ゆえ行く店も限られてくるのだが、比較的遅くまで営業しているすずらん通りの中華ダイニング『SANKOEN』へ。

●2月2日
中国語のレッスンで高田馬場の中華『平大将』へ。蒋老師に春節のご挨拶。一緒に学んでいるKN氏の進度に合わせてということなのでごく初歩の会話なのだが、テキストの簡体字の解読に手間取る。またこちらの台湾なまりの発音が通じないことも多く、大陸と台湾の隔たりをこんなことでも実感。

●2月3日
お台場の局でA誌の会議後、SM嬢、TM嬢とともに新橋の『ライオン』にて食事。忙しい時期だがこの会議の後は決まって飲まなきゃやってられん気分になってしまい、この日もセーブしつつやはり飲まざるを得ない状況に。

●2月5日
家でサッカーU22日本代表ロンドン五輪予選の天王山である対シリア戦をテレビ観戦。何とこのゲームを1-2で落とす大失態。テクニックに少したけているとはいえフィジカルと気合のこもったシリアの前にビビり負けの感あり。何日か前に柏レイソルの小見GM取材時に聞いた、今の代表の精神力の強さは昔のメキシコ五輪の世代にはかなわないという評価を思い出す。

●2月9日
黒木メイサでき婚の芸能ニュースに愕然。よりによって相手があんなんでは男を見る目はまったくなってない、しばし嘆息。少しは大人の機微が判りそうなイイ女かと勝手に思っていたのに残念である。FテレビGS氏が打ち合わせのために来社。その後『明治屋2nd』で軽く一杯飲みながらGS氏の次のアポまで付き合う。仕事に戻ると『t’s bar』のマスターからメールが入っていて先だってお店で撮影させてもらった林家たい平師匠が再来店して頂いたという連絡があり、帰り際に立ち寄って様子を聞くことに。

●2月11日
建国記念日の土曜日、入稿のために出社。SM嬢が色校チェックで来社、帰りが一緒の方向なので新宿三丁目の居酒屋『かり屋』で軽く一杯。

●2月12日
ホイットニー・ヒューストンの突然の訃報に驚く。追悼でかかる彼女の曲を聴いていると30代40代の頃の思い出がふつふつと浮かび上がる。原稿を書かなければいけなかったが気分は乗らず、ホイットニーを聴きながら飲むことに。