(諸星大二郎「栞と紙魚子と夜の魚」より)
子供のころ、動物図鑑や魚類図鑑を観るのが好きだった。
特に変わった謎の多い希少生物や絶滅に瀕しているような動物にはものすごく興味が引かれたものだ。
通っていた幼稚園はちょっと変わったところで、母親にも色々と宿題が課せられたりする教育方針だったが、あるとき子供のリクエストをきいて動物のぬいぐるみを作るというテーマが与えられたことがあった。
普通の幼児はワンコとかニャンコ、せいぜいうさちゃんという希望を挙げていたのだろうが、そのときなんと“クロサイがいい!”とせがんで母親を困らせたそうである。母親はクロサイなるものを知らずわざわざ上野動物園まで“取材”に行ったらしい。
小学校時代も夏休みのデパートの展示場で催された「世界の爬虫類展」とかによく連れて行ってもらったが、さぞかし気味が悪かったことだろうと今になって申し訳なく思ってしまう。
この性癖は最近まで抜けがたくあって、NHKのドキュメンタリーで脚光をあびた怪鳥のハシビロコウや、東京湾の深海に潜むゴブリンシャークとかはしばらくマイブームとなっていたし、とりわけ深海魚系のラブカやメガマウス、ダイオウイカといっためったに観られないものが捕獲されたというようなニュースにはついつい反応してしまうのである。
昨年来、そんな稀少な深海魚の代名詞であるようなリュウグウノツカイが日本海沿岸に漂着したというニュースがしばしば伝えられるようになり、ものすごく気になっていた。何十年の間に数えるほどしかその姿が人目に触れることがないだけに、短い期間でそんなに複数回も捕獲例があることはまさしく異常事態である。
昔からリュウグウノツカイが打ち上がるのは大地震の前触れというようなことを言われていたが、そんな折、ハイチ、沖縄、そして昨日のチリと立て続けに大地震が起こったのもあながち偶然とはいえないのじゃないだろうか。
温暖化や人為的な海洋汚染、相次ぐ地殻の変動。
チリ大地震の津波で灌水してしまった東北の港町の映像を見ながら、一連の怪魚の死骸発見のニュースは物言わぬこれらの希少種たちの生存を賭した悲鳴、警鐘のような気がしてならないのだ。
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