2009年8月31日月曜日

政権交代の朝


民主党の圧勝に終わった衆院選、昨夜は遅くまでテレビの速報観ていたのでいささか寝不足気味である。一夜明けてメディアでは自民党の結党以来の55年体制の崩壊を書きたててていた(正確を期すと93年の細川内閣成立で一度下野しているのだが)。

55年体制とは昭和30年、左右両派の社会党の統一の流れに対抗すべく戦前の政友会の流れをくむ自由党と、自由党から反吉田派として分離した鳩山一郎、三木武吉が結成していた日本民主党に改進党などの保守勢力を糾合して自由民主党として結党。与党=自民、野党=社会の二大政党体制が確立したことを指す。
このときの初代総裁はいわずもがな鳩山一郎。この総裁就任に吉田茂は反発して自民党入党を控え、鳩山の死後に初めて合流することになるわけだ。ちなみに55年は私が生まれた年でもある。

鳩山、吉田の孫同士の今回のバトルは、当時の因縁を考えると歴史の流れの不可思議さを感じさせるのだが、民主の鳩山由紀夫代表にしてみればまあ爺さんが作った自民党に引導を渡す格好になったわけだ。ただそんな感慨よりも、55年以降君臨してきた自民党が(あの2度にわたる安保闘争だってなんら変わらなかった)今回こうまであっさりとひっくり返されたことに個人的には正直肩透かしを食らったような気分ではある。

確かに小泉改革は世界を席巻したグローバリズムに迎合し格差社会を普遍化するし、続く安倍、福田の政権投げ出しとか、お粗末な麻生の政権運営を鑑みるに、ここ10年来の自民党政治じゃさすがにこういう結果になるだろうことは当然と言えば当然という気もする。が、小選挙区制の怖さとはいうものの、かつては何度も打倒しようにもできなかった強大な国家権力構造が、選挙という民意によってピリオドが打たれるなんてちょっと昔じゃ思いもよらなかったはずだ。

田原総一朗なんざ、“勝ちすぎて気持ち悪い”“日本人の一斉に同じ方向むく国民性は怖い”とか下らん心配していたが、民主党だって、旧社会党や民社党も内包しながら自民党を出自とする保守政党に変わりはないので、今後社会が劇的に変わるなんてことはあり得ねえよ。ただなんかここまで落ちぶれる自民党も、同情はしないけど憐れみも禁じ得ない。
民主もここまで勝つと思っていなかっただろうから、今後大きな重圧を背負うことになってしまった。勝ったはいいけど、こんなはずではなかったと泣きが入っているかもしれない。
期待値の大きさの裏には、それが裏切られた時の失望感は大きいもの。
ただ、民主党を選んだ国民も、手放しで期待しているなんていう空気感は全然感じられないけどね。

まあ少しは社会がいい方向に変わってくれればいいってことだけど。

2009年8月28日金曜日

さかいはさかいでも


仕事で手掛けた役者・堺雅人の単行本がようやく発売となった。

某テレビ誌で連載されていたコラムを中心に加筆、さらには書き下ろしも加えてまとめたもの。
役者業同様に個性的な文体で、本人の知性も充分に感じさせなかなかの読みごたえである。
聞けば発売前から事前問い合わせも多く、注文予約も好調ですぐに重版が決定したそうだ。

印税契約ではないので、売れたからといって自分の財布に影響するわけではないが、まあ手間かけて作っただけに多くの人に読んでいただければご本人ならずとも嬉しいものだ。

堺氏が自筆で書いた書店用POPでの言葉を借りれば“よろしければ、ぜひ”
です。

書名/文・堺雅人
出版社/産経新聞出版
定価/1500円(本体1429+税)

2009年8月24日月曜日

週間呑みアルキスト8.10~8.22


●8月12日
大学が同窓の友人のHT氏と渋谷で飲み会。渋谷は学生時代のホームタウンだが卒業して四半世紀経てばさすがに街の様相はがらりと変わってしまっている。待ち合わせ場所を決める際に昔から続いている店を何軒かリストアップし、数少ない選択肢の中から明治通り沿いのBar『BOYLSTON』を選ぶ。HT氏はこの店で初めてバーボンを覚えたそうだが、こちらは店の存在は知ってはいたものの入ったことがなかった。そういえばアメリカ南部のアーリーアメリカン風のBarは確かに一時流行ったことがあった。赤坂や銀座にあった『Henly Africa』とかには良く通った覚えがある。『BOYLSTON』もまさにその類の店で、聞けば1979年のオープンだそうでよく生き残っていたものである(こちとらすでに大学は卒業していたけど)。昔ながらのスペアリブやケイジャン風料理もなんとなく懐かしい感じ。懐かしついでに通りをはさんで向かい側のロックBar『グランドファーザース』にはしご。こちらはもっと年季が入っていて1971年のオープン。70年代ロックの“レコード”を聴きながら昔をしのびつついつしか酩酊。

●8月14日
お盆休み前ということで、この週の神保町は徐々に人通りが少なくなっている。お店も休みのところもポツポツ出ているが事務所の隣の『明治屋2nd』は感心にも営業していたので立ち寄ってみる。昨年の休み前の週末は“5人しかいなかった”そうだが、この日は意外や結構客の入りが良く常連の知り合いも入れ替わり立ち替わり訪れる。景気が悪いのでレジャーを取りやめる人が多いということなのだろうか?常連の一人で警察官採用試験にチャレンジしていたY嬢が見事合格の報告もあってみんなで祝杯。今後はどうかお手やわらかに。

●8月17日
T出版O社長が久々に顔を出す。テレビ観ながら差し入れのビールを飲んでいたらNHKの番組『鶴瓶の家族に乾杯』で台南を旅する特別編を放送。O社長とまさに何年か前に台南を旅したことがあったのでついつい見入ってしまう。また、仕事を放り投げて何も考えずにぶらぶらアジアを呑みあるいてみたいものだ。番組に刺激されたこともあって中華料理の『源來軒』へ。

●8月18日
京橋テアトルで『クヒオ大佐』の6時からの試写へ。朝から何も食べていなかったので試写の間もお腹が鳴る音が気になってしまうぐらい空腹だった。試写終了後、たまらず銀座・松屋裏の昭和っぽい庶民的なとんかつ屋『とん美』に飛び込みとんかつつまみにビール。
銀座で飯を食べるのも久しぶりなので店を出た後7丁目のBar『FAL』を覗いてみる。休みの余波なのか景気の悪さからかカウンターに客の姿がなくマスターのHS氏も手持ち無沙汰の様子。サッカーファンでもあるHS氏相手についつい話し込んでしまう。ようやく3人連れの客が入ってきたので店を出るともう終電間近の時間だったが、通りはガラガラ。銀座のクラブ村の不景気風を実感する。

●8月19日
暑中見舞いのはがきをもらっていたので昔よく呑んでいた新宿2丁目のBar『BURA』に寄ってみる。同じ歳のママさんのSさんは“どういう風の吹き回し?”と驚いていたがうれしそうにボトルを探してくれる。もう何年も来ていなかったがちゃんと保存してくれていた。新宿もやはり客の入りはさっぱりらしいが、昔からのお客さんたちで何とかやっていけているとのこと。ボトルを飲みきってしまい次のボトル入れる金がないよというとボトルの名前のタグは取っておくから次来たときにといわれて恐縮する。すぐ隣の『T’sBar』にハシゴして終電にて帰宅。

●8月21日
お盆休みは休まずに営業と言っていた『明治屋2nd』がここ2日間休んでいたが、やっとこの日開けていた。というのもHMマスターがぎっくり腰で動けなかったからだとか。お見舞いかたがた一杯呑みに立ち寄るとT出版のO社長からカメラマンのNS氏と飯食っているので合流しないかとの連絡があり、T出版の近所の安くて美味いと評判の街中中華料理『大興』へ河岸を変える。O社長は最近猫にとりつかれてしまい家でも2匹飼いはじめ、社業でも猫の写真集を何冊か出版するにとどまらずブログまで立ち上げてしまっている熱の入れよう。『大興』のお店の人たちとことさら親しげに猫談義をしているので聞くと、このお店で飼っていた猫の子猫を譲り受けたとか。子供のころからの犬派としてはとんとその良さがわからないが、周辺にも愛猫家はすごく増えている。神保町にもお店で猫と和む“猫カフェ”も出来たらしい。まあ、こんなせちがらい世相ゆえ小動物で癒されたいという気持ちはなんとなくわからないでもないが…。

2009年8月19日水曜日

可笑しくも哀しい結婚詐欺師の物語


最近、俳優の堺雅人の単行本の仕事を手掛けた縁で、新作『クヒオ大佐』(吉田大八監督)の試写を観に行く。
クヒオ大佐とは実際にあった結婚詐欺事件の犯人が騙っていた人物の名前で、職業は米軍特殊部隊パイロット、父親はカメハメハ大王の流れをくむハワイ人で、母親はエリザベス女王の妹の旦那の親戚という“華麗な血筋”を武器に結婚を餌に何人もの女性に金を貢がせたというトンデモ男なのだが、この事件が発覚したとき写真週刊誌とかでも大きく報じられたのでよく覚えている。しかも髪を金髪にし鼻を高く整形し米軍の制服を着込んだたそのクヒオ大佐が、どうみても日本人のさえない爺さんにしか見えず、実際60歳をはるかに超えた人物だったので、よくこんな爺さんにだまされる女性がいるもんだと呆れた記憶がある。

今回の映画ではこのクヒオ大佐役に微笑みが売りの二枚目・堺雅人が演じるわけなので、ぐっと結婚詐欺師としてはまともなのだが、つけ鼻で鼻を高くし怪しげな二世日本語を駆使する堺版クヒオもなかなかどうして怪人物ぶりを発揮して笑える。ちょっと考えれば嘘バレバレ!こざかしいだましのテクニックのひとつひとつがあまりにもばかばかしいのだが、それを強引かつ懸命に工作するクヒオの涙ぐましいまでの努力に愛しさまで感じてしまう。監督の吉田大八はCM出身で初監督の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007)では各国の映画祭で注目された。この作品でもテンポの良い演出は小気味が良いし、クヒオの嘘八百の人生の陰にある暗い過去や、怪しいと思いつつも魅かれていく女たちのもろい心理も巧みに表現している。堺の怪演もさることながら騙される松雪泰子、満島ひかりはじめ、クヒオを一目で詐欺師と見抜き逆に強請る新井浩文も好演。
小品ではあるがなかなか楽しめる作品に仕上がっている。
今秋、シネクイント、新宿バルト9にて公開。

2009年8月14日金曜日

省一つぁん・・・


江田省一こと山城新伍、特別養護老人ホームに死す…。
誤嚥性肺炎かあ、老人ホームじゃ結構これで死ぬんだよなあ。食い物が喉通らなくなって気道に入って肺炎起こすんだよね。

こんなんでタマ取られたとは、間尺に合わんのお。

監督、金子さん、成田さん、室田さん、麟一さん、拓ボンによろしゅう。

合掌

2009年8月10日月曜日

週間呑みアルキスト7.26~8.9


●7月26日~
先月から仕事に追われてしまって呑みアルキどころではなく、極めて肝臓には良いが逆にストレスで体調を崩すような日々が続いていた。
とはいうものの、完全にアルコールを断っていたというわけでもなくメシくいがてら隣の『明治屋2nd』に30分一杯勝負、みたいな立ち寄りはしていたのだが。特記すべきことはあまり無し。
この状況もあと1週間もすれば抜け出せるはず、ああ娑婆が恋しいはやく社会復帰しなければ…。

●8月5日
最終入稿の帰りに、次の仕事の打ち合わせ。これでゲラのチェックまでつかのまの小休止、ということでT社O社長を呼び出し軽呑み。O社長が最近発見したという猿楽町は錦華通り沿いのBar『Ground line』に行ってみる。ここはなんとBarでありながら禁煙というO社長大絶賛のコンセプト。自分自身はそれほどこだわっていないが非喫煙者としてはもちろんウェルカムである。しかも前近代的なニコチン中毒の編集人種が跋扈するこの界隈では勇気ある経営姿勢である。マスターに敬意を表したい。店のつくりはあくまで照明を落とした大人の空間で決して禁煙エリアにありがちな健康ムードは感じられない。あくまでお酒を楽しめる空間であるがノンアルコールのカフェだけでもOK、ハーブティーや台湾のお茶なんかもあるのが健康志向を表している。フード類もなかなか充実していて居心地がいい、ちょっとハマルかも。

●8月6日
8月半ばに大使館員の奥様のご実家があるポーランドに“引っ越してしまう”IT社のNK氏が、ポーランドの人形アニメの日本紹介を手がけている映画評論家E氏夫妻と、その作品のビデオグラムを手がけたMF社NG嬢との会食に呼んでくれる。仕事が立て込んでいたので出席しやすいようにと配慮していただきお店はわが社の近所のイタリアン居酒屋『ピアンタ』。E氏とは以前編集長だった映画雑誌P誌にも原稿をお願いしていたのだがお会いするのは初めて。ご夫妻とも東欧の映画事情にも通じていて興味深いお話が聞けた。知り合いが異国の地にいることは何かと便利であるということでE氏夫妻とも同意、NKさん、今後ともよろしくお付き合いください。K社時代にディスカバリーチャンネルのDVD製作で机を並べていたNG嬢を誘って『明治屋2nd』にハシゴ。

●8月8日
いつも溜まっている『明治屋2nd』のママさんであるHZさんが誕生日なのだそうで常連さんたちで土曜貸切の誕生会をお店で開くという連絡をもらい顔を出す。誕生会といってもそれにかこつけて呑みたいがために無理やり店をあけさせたというほうが近いのかもしれない。HZさんの手による大皿料理は定評があって、それがこのお店がにぎわう理由のひとつであることは間違いないのだが、この日も祝ってもらう側のHZさんばかりが忙しく手料理を作らされてしまっている。客のほうはいつもとかわらず酔っ払って大騒ぎというのもいかがなものか(笑)。いつもご馳走様です。そしてお誕生日おめでとうございます。

2009年8月7日金曜日

相次いで・・・


押尾学の薬物スキャンダル、酒井法子のシャブ疑惑に気を取られているうちに、訃報が相次いだ1日。

早稲田ラグビーの魂の体現者、日本代表のタックラーだった往年の名フランカー、石塚武生氏(現常総学院高監督)が突然死された。
現役時代、秩父宮で何度勇気を与えてもらったことか。
57歳。

「すてきな片思い」、「ブレックファストクラブ」のジョン・ヒューズ監督。80年代の青春映画の数々は忘れがたい。「大災難PTA」は珠玉のコメディで大好きな1本。ニューヨークでウォーキング中にハートアタックで急死。59歳。映画雑誌をやっていた時の人気監督だったので個人的には思い出深い人だ。

そして、大原麗子。ギラン・バレー症候群との長い闘病生活の末、死亡。62歳。六本木野獣会出身、「網走番外地・北海編」の頃は本当に可愛いおねえちゃん、だった。「ピーコック・ベイビー」なんて歌、歌っていたなあ。83年~84年に生田スタジオでお会いした時はすでに時代を代表する貫禄充分の大女優だった。機嫌が悪いと取材者泣かせの第一人者との定評があった。同僚の女性編集者と一緒に恐る恐る取材したが、すこぶる上機嫌だったので胸なでおろしたのが昨日のことのように思い出される。そのときの同僚もいまはもう亡き人になってしまった。

山田辰夫、川村カオリ、そして今日の訃報。
みんな途上にての無念の死である。

人生の栄光とはかなさを考えさせられる日々が続く。

2009年8月3日月曜日

トビウオ死す


フジヤマのトビウオ、古橋広之進ローマに死す。

焼け跡の日本で、買出しの芋で空腹を満たしながら猛練習し、世界新を更新すること実に33回。
しかしながら戦後初めて日本が復帰した1952年のヘルシンキ大会ではすでに峠を越えていて五輪では無冠に終わる悲劇のヒーローだった。

五輪の理事のときだったか、水連の会長のときだったか、会見でお会いしたことがあるが、老境でも情熱的で若々しく紳士然としていた。生まれる前の国民的英雄だったが(われわれの子供のときは山中毅選手だったな)、伝説の人を間近に観れて興奮した覚えがある。

世界水泳選手権の現場での劇的な死。享年80。
トビウオと呼ばれた男は1948年の夏から生涯をかけて今泳ぎきった。
そして昭和はまた一段と遠くなっていく。

合掌