2009年5月28日木曜日
甘美なる長き1日
昨夜というか今朝の欧州チャンピオンズリーグ決勝戦。
FCバルセロナ2-0マンチェスターユナイテッド
一睡もせずに観てしまったので、もう何時間起きているんだろう。
いや~、それにしても面白い試合だった。
バルセロナがあんなに美しいポゼッションサッカーで、スター揃いのマンU(まあバルサもだが)をああまで押さえ込むとは思わなかったぜ。プジョルをサイドに置いてクリロナのサイドアタックの芽はことごとくつまれていたし、メッシを下がり目においたのもイニエスタ、シャビとの連携が素晴らしいバリエーションを作り出していた。若き指揮官グラディオラはなかなかどうしてサー・アレックスの上を行く大した指揮ぶりで魅せてくれたね。
“美しく勝利”せよ、グラディオラ本人も認めているらしいが、かつてバルサの指揮官だったクライフの遺伝子を立派に引き継いでいるように思う。
このバルサが今年の12月に日本で見れないのはなんとも残念だ。
トヨタクラブワールドカップは決勝以外はつまんないし、チケット代もバカ高いので、別にもう日本開催じゃなくてもいいんじゃネ、と思っていたが、やはりこのチャンピオンチームはこの目で見たかったなあ。
キリンカップの快勝もどこへやら。
世界最高峰の甘美なる試合に陶酔の1日だった。
ア~、いい加減眠い。
2009年5月27日水曜日
日本快勝!
ワールドカップアジア最終予選を来週末に控えたキリンカップ初戦。わが代表は南米の強豪・チリを迎え撃った。チリは現在ワールドカップ南米予選で3位につけ来月首位を行くパラグアイとの重要な一戦を控えており、メンバー的にも国内の若手が中心とはいえ欧州以外の海外組も加えほぼトップに近い構成で、ワールドカップ予選へ向けておたがい調整としては大きな意味を持つ試合となった。
わが代表は、闘莉王、長友のけが、大久保の体調不良ということで、控え組が中心のスタメンでスピードとテクニックがありプレッシャーのきつい南米相手にどこまで戦えるのか不安だったが、ふたをあけてみればあれよあれよという間に岡崎が2得点、阿部、本田と4点取っての快勝。中村憲剛、遠藤、長谷部と中盤もよくゲームをつくり、ディフェンダー陣も何度か決定機を作られたが集中を切らさず結果的に0封したのは見事だった。
初代表のレッズの山田直輝も非凡な才能を披露し、終了間際の本田のゴールを演出する素晴らしいデビューを飾った。
これで松井や俊輔、闘莉王の復帰を計算すると、来月のワールドカップ3連戦で明るい展望が開けてくるというものである。というか今日のスタメンのほうがひょっとしたらチームとしてのモチベーションが高いのではと思ってしまうほどである。キリンカップの次のベルギーも対ウズベキスタン、オーストラリアの仮想敵としては絶好のスパーリングパートナーである。ここでチームのコンディションを高めぜひとも6日のタシケントで本大会出場を手にしてほしい。
久々に溜飲がさがる勝利だったね。
さあ、いい気分で早起きして早朝のチャンピオンズリーグ決勝に備えねば!
2009年5月23日土曜日
蜜の味
盧武鉉前韓国大統領が自殺。
政治資金の不正蓄財と家族の利権導入で検察当局から取り調べの最中だった。
一瞬、政治的な謀殺かとも思ったが、警護官の目前で崖から飛び降りたというから覚悟の自殺だったのだろう。
しかし韓国の大統領は全斗煥、盧泰愚と辞任後に不正が暴かれるケースが続発する。この二人は軍人出身だったので、権力掌握に権謀術策を弄したであろうことは理解できるが、盧武鉉の場合は、人権派の弁護士出身、若いネット世代の民意で大統領に選出されたにもかかわらず晩節を汚す結果になった。
台湾の陳水扁前総統も似たような罪状で現在収監中だ。
2000年の総統選挙でとかく汚職まみれだった国民党に代わって、やはり弁護士出身で清廉なリベラル派の闘士としてブームを巻き起こし政権を取ったとき、その現場を目撃していたが、あのときの熱気はいまでも鮮烈に覚えている。それでもそのイメージはいまや地に堕ちてしまった。
東アジアの政治で特に目立つのは権力者の一族が利権に群がること。「家」単位の意識が強い風土ゆえといったらそれまでだが、どんなに民主的に選ばれた指導者でもひとたび権力を掌中にすると、その甘い蜜の味の誘惑は抗い難いのだろうか?
韓国も、台湾も経済的には世界の主要国へと成長し、その発言力も高まっているが、一枚皮をめくれば民主主義いまだしの感はぬぐえない。
日本でも金がらみの話は政治につきものだし、世襲をめぐる郎党政治の見直しは論議の的だが、韓国や台湾のようなこんなあからさまな個人への利権誘導はさすがに表面上では過去のものになった。ように見える。
かといって、日本も政権奪取を狙う党代表の秘書が逮捕された問題も、代表辞任でうやむやになりつつあることをかんがみて、韓国や台湾の事件を他山の石とし深く肝に銘じなければなるまい。
2009年5月20日水曜日
同じ歳の人たちが
頼近美津子さんの訃報にびっくり。
T誌の記者だったころ、フジテレビ報道局24時間現場ルポという企画で、当時の河田町の局舎に徹夜で貼り付いたことがあった。
あの日FNNニュースレポートのキャスターだった頼近さんは外回りの現場取材から戻ってきて、いすの上で足を投げ出してふくらはぎのマッサージしていたのを思い出す。
カメラマンがその姿にカメラを向けるとちゃめっけあふれる笑顔を向けてくれたっけ。
殺伐とした報道局がパアッと明るくなるような美しい人でした。
先日、日本テレビの元アナで同じ歳だった荻原弘子さんも亡くなり、自分の年を感じてちょっとがっくり来ていたので、なんだか追い打ちがかかった感じがしてしまう。
それにしても早いよなあ・・・。
素敵だったおふたりのご冥福をお祈りいたします。
T誌の記者だったころ、フジテレビ報道局24時間現場ルポという企画で、当時の河田町の局舎に徹夜で貼り付いたことがあった。
あの日FNNニュースレポートのキャスターだった頼近さんは外回りの現場取材から戻ってきて、いすの上で足を投げ出してふくらはぎのマッサージしていたのを思い出す。
カメラマンがその姿にカメラを向けるとちゃめっけあふれる笑顔を向けてくれたっけ。
殺伐とした報道局がパアッと明るくなるような美しい人でした。
先日、日本テレビの元アナで同じ歳だった荻原弘子さんも亡くなり、自分の年を感じてちょっとがっくり来ていたので、なんだか追い打ちがかかった感じがしてしまう。
それにしても早いよなあ・・・。
素敵だったおふたりのご冥福をお祈りいたします。
2009年5月17日日曜日
週間呑みアルキスト5.4~5.17
●5月7日
連休明けのしょっぱなからWB社のFJ社長より、事務所で鍋パーティーのお誘いあり。さっそく新宿の事務所へワインをぶら下げはせ参じる。事務所にはFJ氏ほか映画ライターのUM嬢、SB社のON氏、お寺さんに勤めるSS氏などが集結しすでに美味そうな鍋がぐつぐつ煮立っている。連休中にFJ氏がでかけた上福岡のもつ鍋屋『博多一番』のテイクアウト用セットを7人前も買い込んだそうで味は折り紙つきだそうだ。汗をかきかき大いに食べかつ呑んで、〆のちゃんぽんを平らげたときはもう一歩も動けないほど。事務所での鍋もなかなかいいもんである。後の片づけが大変だろうなあと恐縮しつつ、FJさんご馳走様でした。
●5月8日
向かいのデザイン会社のAkiさんより、T出版のO社長が来ているので一緒に食事でもと誘われる。あいにくと食事を済ませていたので、つまんで呑める感じなら、ということで神保町の裏通りにある『東京アチコーコー』へ。ここは女性ばっかりのスタッフで切り盛りする沖縄料理をメインにしたダイニングカフェだが、自家栽培の無農薬野菜を料理に使う女性ならではの気遣いあふれるお店でいつも盛況である。シークワーサワーをちびちび飲みながらおいしそうな料理を横目でにらみつつ早飯したのをちょっと後悔する。
●5月13日
化粧品会社系印刷会社に勤務するAS氏が貸していたDVDを返却に来社、せっかくだからと開いたばっかりの隣の立ち飲み屋『明治屋2nd』へ。AS氏は以前所属していた編集部で私の部下だったこともある。つい昨日まで若手若手と思っていたが娘さんがもう小学校の3年生ということでびっくり。歳をとるわけだと実感。
●5月14日
連休中に久々会った友人のHT氏が、今度は神保町で飲みましょうということで来社。寧波菜の老舗中国料理『源來軒』へご案内。店を飛び交う中国語の怒鳴り声の異国情緒(?)たっぷりの雰囲気にHT氏もいたくお気に召した様子。甕だし紹興酒を2本開けてしまい、帰宅後服も脱がずにソファで朝方まで熟睡してしまう。
●5月16日
土曜出勤をしていると、KS社を早期退職したばかりのKJ氏が来社。退職後も引きずっていた引継ぎ業務が終わって鍵も返してきたところだという。たまたま土曜営業で『明治屋2nd』が開いたばっかりだったのでさっそく慰労のいっぱいをすることに。しばらく呑んでいるとたまたまKS社のUB嬢が来店したのですぐに合流する。さすがに立っているのもつらくなったのと、若い常連連中が誕生会でパーティーのような大騒ぎをしていたので河岸を変え近所のBar『シャルルボイル』へ移動。呑みだすと尻が長くなる悪癖のあるKJ氏。終電も間際になったのでUB嬢に後はお任せしてほうほうの態で退散。
2009年5月13日水曜日
酔いたい夜に
11日、64歳で亡くなられた三木たかしさんの追悼特別番組(TBS)を仕事しながら観ていたが、盟友・荒木とよひさ先生がコメントを求められ何度も詰まってしまう姿に思わずもらい泣きしてしまった。
荒木先生は衛星ラジオPZで仕事していた時、番組を持たせていただいた。
小さい放送局だったが、荒木先生のおかげで石川さゆり、西城秀樹、和田アキ子、堀内孝雄といった大物ゲストにも来ていただいた。
あの頃近寄りがたい雰囲気があった荒木先生が、あんなに取り乱す姿は衝撃だった。三木さんの存在の大きさを改めて感じさせられる。
なにせ、昭和平成で2000曲の曲を遺した三木さんの仕事は日本の歌謡史に残る偉大な功績だが、二人のコンビの作品は特に素晴しいものがあったように思う。
しかし、なによりも、なんといってもテレサの歌はいいなあ・・・
「別れの予感」「つぐない」
あのテレサの存在があったから、この二人も歴史に残る曲を残せたんだろう。
司会の徳光さんも言っていたが今頃は再会を喜んでいるのだろうか?
(このときはからずも上がった嗚咽の声も荒木先生だったようだ)
今夜はテレサの曲が無性に聞きたい。テレサの歌とともに過ぎ去った時間に思いめぐらしながら酔いたい。そんな夜もある。
三木さんのご冥福をお祈りいたします。
2009年5月6日水曜日
one fine day
本日、東京メトロ副都心線乗り入れ渋谷行きの新宿三丁目駅で、なにげに改札を通ろうとしたらなんと定期入れにあるはずのパスモが無い!後生大事にボロボロになるまで使い込んだ定期入れのセルの裂け目からこぼれ落ちてしまったのか?注意はしていたのだが、おそらく石神井公園の駅で改札通った後に落としてしまった確立は高い。
焦ってポケットを探るが無いものはない、仕方なしに駅員さんに事情を話すと追加料金を取ることも無く改札を通してくれた上、残り金額を聞かれ4000円くらいかなと答えると、そんなに残っているなら改札の先にある事務所に遺失物係りがいるから届けたほうが良いと親切に言ってくれた。今乗ってきた車内だったら出てくる可能性があるそうだ。時間もかかりそうなので一瞬あきらめようかなと思っていたが、そこまで言われればと気を取り直して事務所に出向くと応対してくれた女性が、てきぱきと乗っていた車両位置や座った座席の位置関係を聴いてくる。すぐさま終点の渋谷駅に連絡を取ってくれ車内をわざわざ捜索してもらった。
待つこと数分、いろいろ手を尽くしてくれたが本当にすまなさそうな顔で見つからなかったと告げられ、こちらが不注意だったのにすっかり恐縮してしまった。あげくに上野にある地下鉄の遺失物センターと西武鉄道のサービスセンターの連絡先まで調べてくれる念の入り方。
なんて素晴らしい対応なんだ!東京メトロ。正直言って感動したね。
大体無記名のパスモである。拾ったやつは自分で使うかもしれない。オレならネコババしないまでも届けたりまではしないだろう。改札の駅員さんは届け出ろと進めてくれたが出てくる可能性ははじめからゼロに近いと、当人があきらめているにもかかわらずこの対応である。東京メトロ職員のサービス意識の高さに本当に驚いた。
平身低頭して礼を言って去ったのだが、ここまでしてくれた好意を無に出来ないと西武鉄道の石神井公園駅にこちらのほうがやや確率は高いと思ったが、あまり期待もせずにあきらめ半分駄目もとで電話したところ、パスモが1枚届いていると言うではないか!無記名なので本人確認も出来ないと思っていたが履歴を見てくれ、最近の行った先を告げると“間違いないでしょう”とあっさり所有者であることを立証してくれた。石神井公園駅は現在高架化の改修工事中で駅員さんは安全運行管理で大変なことは容易に推察できるが、こちらも忙しい中嫌な顔ひとつしないで丁寧に対応してくれたのである。
帰りに無事ピックアップし4000円のパスモはかくしてわが手に還って来たのであった。
届けてくれた人はどういう人だったか、渡してくれた駅員さんが受け付けたわけではなかったので判明しなかったが、石神井住民のモラルの高さにまたまた感動してしまった。
よく日本で落し物をした外国人が、拾った人が届け出てくれ手元に戻って日本人のモラルに感動する話は聞くが、本当にその通りだ。
いや~、美しい。
東京メトロ、西武鉄道の職員の皆さん、届けてくれた親切な誰かさん、本当にありがとうございました。
4000円という金額の何倍もの価値ある素敵な日となった皆さんの善意に心から感謝です。
焦ってポケットを探るが無いものはない、仕方なしに駅員さんに事情を話すと追加料金を取ることも無く改札を通してくれた上、残り金額を聞かれ4000円くらいかなと答えると、そんなに残っているなら改札の先にある事務所に遺失物係りがいるから届けたほうが良いと親切に言ってくれた。今乗ってきた車内だったら出てくる可能性があるそうだ。時間もかかりそうなので一瞬あきらめようかなと思っていたが、そこまで言われればと気を取り直して事務所に出向くと応対してくれた女性が、てきぱきと乗っていた車両位置や座った座席の位置関係を聴いてくる。すぐさま終点の渋谷駅に連絡を取ってくれ車内をわざわざ捜索してもらった。
待つこと数分、いろいろ手を尽くしてくれたが本当にすまなさそうな顔で見つからなかったと告げられ、こちらが不注意だったのにすっかり恐縮してしまった。あげくに上野にある地下鉄の遺失物センターと西武鉄道のサービスセンターの連絡先まで調べてくれる念の入り方。
なんて素晴らしい対応なんだ!東京メトロ。正直言って感動したね。
大体無記名のパスモである。拾ったやつは自分で使うかもしれない。オレならネコババしないまでも届けたりまではしないだろう。改札の駅員さんは届け出ろと進めてくれたが出てくる可能性ははじめからゼロに近いと、当人があきらめているにもかかわらずこの対応である。東京メトロ職員のサービス意識の高さに本当に驚いた。
平身低頭して礼を言って去ったのだが、ここまでしてくれた好意を無に出来ないと西武鉄道の石神井公園駅にこちらのほうがやや確率は高いと思ったが、あまり期待もせずにあきらめ半分駄目もとで電話したところ、パスモが1枚届いていると言うではないか!無記名なので本人確認も出来ないと思っていたが履歴を見てくれ、最近の行った先を告げると“間違いないでしょう”とあっさり所有者であることを立証してくれた。石神井公園駅は現在高架化の改修工事中で駅員さんは安全運行管理で大変なことは容易に推察できるが、こちらも忙しい中嫌な顔ひとつしないで丁寧に対応してくれたのである。
帰りに無事ピックアップし4000円のパスモはかくしてわが手に還って来たのであった。
届けてくれた人はどういう人だったか、渡してくれた駅員さんが受け付けたわけではなかったので判明しなかったが、石神井住民のモラルの高さにまたまた感動してしまった。
よく日本で落し物をした外国人が、拾った人が届け出てくれ手元に戻って日本人のモラルに感動する話は聞くが、本当にその通りだ。
いや~、美しい。
東京メトロ、西武鉄道の職員の皆さん、届けてくれた親切な誰かさん、本当にありがとうございました。
4000円という金額の何倍もの価値ある素敵な日となった皆さんの善意に心から感謝です。
2009年5月5日火曜日
週刊呑みアルキスト4.20~5.3
●4月24日
連休前日で給料日の金曜日、隣の『明治屋2nd』もいつもにまして込みだしたので、新宿二丁目『T'S Bar』に移動。新宿も通りは込んでいるもののどこのお店もそんなに人がいっぱいという風でもない。
帰り際、新宿三丁目の末広亭のある一角を抜けて地下鉄の駅に向かったが、なんだか大型のワインバーが出現していたり、テラス席のある新宿には似つかわしくないシャレたカフェバーが軒を連ねたりこのあたりの風景も本当に変わりつつある。
●4月27日
高円寺のデザイナーFJ嬢と打ち合わせのため、会社からの帰り久々に高円寺駅に降り立つ。南口のカフェ『Yonchome Cafe』で待ち合わせ。仕事の打ち合わせのつもりだったがお店自体夜はビストロ風に様変わりしてしまうので、ついついビールを飲みながらの打ち合わせに。FJ嬢も残してある仕事を気にしながらも旦那様に連絡し結局は本格的に呑んでしまった。
●4月28日
夕刻、仕事先のプレゼンを終え、日比谷の國際ビルでMM社のデザイナーNZ嬢と食事をかねてスペインバル『LA BODEGA』でタパスつまみに軽呑み。この日はKS社で最近早期退職したKJ氏のサッカーチーム主催の送別会があるので呑み足りなさげのNJ嬢だったが早々に切り上げ、会場の恵比寿の和食屋『恵比寿ばし 武生』へ向かう。以前のK社のサッカーチーム“四谷ユナイテッド”の面々とは最近はとんとご無沙汰で久々に顔を合わせたのだが、しばらく試合に行かないうちに若手連もすっかり30代へ突入し、チームも高齢化の波を迎えている。このご時勢なので新入社員もほとんど採用がないため新しい血が入ってこないのもいたしかたないところ。KJ氏は名うての長尻でとぐろを捲きだしたら泥酔していても梃子でも動かない。この日も二次会の『花の舞 恵比寿北口店』の終了時間(午前3時)まで付き合わさせられてしまった。新宿の事務所に戻るというBS社のYM社長のタクシーに同乗させてもらい、新宿で始発まで待つことにして二丁目の『T'S Bar』に向かうが店じまいをはじめたところで間一髪セーフ、無理やり朝までお邪魔することに。朝帰りは何年ぶりだろうか、案の定電車でうとうとしてしまい一駅乗り過してしまう。
●5月1日
近所の企画会社ST企画のMT社長が来社、MT社長は同じ歳で社員も数人抱えて学校関係等の出版物などを手がけている人物で『明治屋2nd』の常連さんでもある。ということで、打ち合わせ後、当然のように開店したばかりの『明治屋2nd』へ。
●5月2日
ドーハ以来のサッカー関連の友人のHT氏と久々に銀座で会食。銀座は休日の買い物客でにぎわっていたがHT氏が見つけてきた松坂裏のスペインバル『Bar371』に飛び込みで入ってみる。黒人のギャルソンがいたりなかなかムードがある店だが値段は至ってリーズナブル。海外サッカーの話や共通の知人の話題で盛り上がっているうちにあっという間にワインのボトルが空いてしまう。HT氏の焼酎のボトルがキープしてあるという銀座通りの『響』にハシゴ。
2009年5月4日月曜日
いい仕事してますが・・・
今年の連休は、カネにならない頼まれ仕事があってどこにも出れない日々が続いているのだが、その合間を縫って東京プリンスホテルで開催されている『ザ・美術骨董ショー』を覗いてきた。
美術骨董といっても、自分が蒐集の趣味があるわけでもなく、たまにテレビの「鑑定団」を見る程度の興味しかなかったのだが、わが社の隣に店を構える『Retreat』の店主WTさんから案内状をいただいていたので冷やかし半分に出向いたのである。
『Retreat』も立ち飲み屋の『明治屋2nd』同様に、わが社とほぼ時を同じくしてご近所に開店したマイセンを中心とした高級西洋陶磁器を販売している骨董品店である。店主のWTさんも脱サラ起業組というよしみで最近親しくさせていただいている。
会場はホテルの大宴会場に大小のブースが150店ほど設置されていて、日本の焼き物、書画を中心に西洋アンティークや古銭、などバラエティに富んだ骨董品が展示即売されている。
実は、死んだ親父が“へたな骨董好き”で、生前よく自慢していた一見ガラクタにしか見えない焼き物や根付、懐中時計とかいう類のモノが結構遺されているので、少しは価値があるものかないものか視察もかねて値札をひっくり返して歩いたのだが、素人目には正直よくわからなかった。
隣に店があるのに、あまり商品を拝見させていただいたことがなかったので『Retreat』の展示品も解説付きでジックリ拝見させていただいた。実際間近でポーセリンの逸品を見せていただくとやはり独特の魅力を放っていてついつい欲しくなってしまうものもあるのだが、値段はともかくも大枚はたいたところで飾る場所=器の問題がある。せこいマンションの拙宅のサイドボードでは飾っておいても気分がむなしくなるばかりだと思い、目の保養だけさせていただいた。写真は『Retreat』イチ押しのマイセンの壷だが、神々の結婚宴会に題を取った彫り物は遠近や筋肉の質感など本当に素晴らしい細工が施され素人目にも近世ドイツの職人芸の水準の高さがよくわかる。まさに中島誠之助氏いうところの“いい仕事してますね~”である。
しかしどの陶器もウン十万の値札がついていると、こういう趣味を持てる人がうらやましくなると同時にその素性を詮索したくなってくるのは貧乏人の僻みというものだろうか?
こういう趣味の世界はあまり好不況の波は関係ないと聞いていたが、WTさんが言うにはさすがに昨年に比べて人の出が少なくなっているそうで、昨年は最終日に上客が来店し大口の商売ができたたとホクホク顔だったけど“今年は出店費が出ない”と嘆息していた。
4日が最終日、僕は協力できなかったけど昨年のお客さんはまたきっと最終日に来ますよ、頑張ってください。
2009年5月3日日曜日
2009年5月1日金曜日
この世界の片隅に
『夕凪の街 桜の国』の、こうの史代のコミックス最新作『この世界の片隅に』(双葉社刊)の完結編が一昨日発売され、上、中巻既読し、かねてからその発売を待ち望んでいたので早速入手した。
この作品は昭和18年に広島市の少女・浦野すずが、見合いで呉市の北條家に嫁ぎ、戦時下の嫁として暮す日常の出来事を坦々と描いたものである。すずをはじめ登場する人々はそれぞれが、戦争という非常時を特に肯定も批判もせずに何の疑問もなく生活の不自由を工夫しながら生きている、いわゆる大多数の“世界の片隅に”生きている庶民である。
夫・周作は海軍の軍法会議の録事という文官でいわゆる軍人らしくないサラリーマンのような男で、やさしい両親と、夫を亡くし実家へ小学生の娘とともに出戻ってきたなにかと口うるさい義姉とともに同居している。
すずは絵が好きで、それが縁で遊郭の女性と友情を結んだり(後に夫が彼女の客の一人と判明する)、水兵となった幼馴染の同級生と再会しほのかな恋心を寄せられたりといった些細な“事件”もあるのだが、総じて平凡な日々が過ぎていく。そして昭和20年、軍都・呉は空襲に曝され平穏だったすずの日常も一転していくのである。
当然ながらこの時代の広島を描いているわけなので、完結編となった下巻の結末がただで終わらないことは容易に想像ができたが、上中巻で描かれた不便だが健気ですらあった市井の平穏さが暗転し悲惨なクライマックスへ向かっていく展開に思わず肩に力が入って作品にぐいぐいと引き込まれてしまった。
心身ともに打ちのめされたすずが、生き残った人たちと終戦を告げる玉音放送を聞いた後、ひとり畑に出て“この国から正義が飛び去っていく”事実の前で失ったものの大きさに大粒の涙で崩れ落ちるシーンに不覚にももらい泣きをしてしまった。この筆者の骨太の絵力というか表現力は魂をゆすぶられるほどの迫力で胸に迫ってくるのだ。
登場人物の中に消息が最後までわからないままのものもいる。また運よく生き残ったものの原爆の2次被害を受けているものもいる、この人物たちのその後の人生の結末を予感させながらも、すずは夫とともに戦後を再び歩み始めるのである。
昭和43年生まれの作者は、手塚文化賞を受賞した『夕凪の街 桜の国』で初めて出身地・広島の過去に向き合ったのだが、戦争とは無縁だった作者が、家族や縁者の証言に触れ、さらに多くの文献からその時代の世相を掘り起こし紡ぎ出していく作業は筆舌つくしがたい苦労があったことだろう、あらためて深い敬意を表したいと思う。『この世界の片隅に』はその結実であるといってしまっては簡単だが、その苦労に加え彼女を突き動かす何か大きな力が“降りて”きていたのかもしれない。
本人のあとがきにも“正直書き終えられるとは思わなかった”という率直な言葉が述べられ“幾つもの導いてくれる魂”に出会えたと記されている。
昨今の北朝鮮をめぐる政治状況の中、先制攻撃の論議が声高に叫ばれ始めている。
核クライシスの前でかき消されてしまう過去の記憶。
こうの史代の作品の価値が、だからこそ時代の必然であるような気がしてならないのだ。
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