毎年、新しいアジア映画の上映を楽しみにしている東京国際映画祭だが、今年は開催期間前半が台湾旅行中だったためと、仕事の雑事が重なってしまったため、スケジュールを縫ってやっと2本だけ観ることができた。
一本は台湾の高校生たちの青春群像劇の『九月の風』(原題『九隆風』)。香港の名優・曾志偉が中・香・台でプロデュースした青春映画3部作の台湾編で、彼曰く一番よくできているということから単独での東京映画祭出品となった作品だ。1996年の台湾・新竹の高校が舞台。ちょっとワルだが皆仲良くつるんでいる9人組のほろ苦い人生の旅立ちを描いてゆくのだが、1996年という設定は台湾のプロ野球界で八百長事件が発覚し一大スキャンダルとなった年でもあり、主人公の少年たちも当時の台湾が野球人気が最高潮だった背景から全員が人気球団の時報イーグルス(その後、事件の余波で消滅する)のファンである。彼らの輝かしい青春の日々に影を指すようにドラマの進行とともに、実際のニュース映像で八百長事件がクローズアップされ、彼らの青春の終焉を暗示させるのである。監督は新鋭の林書字。新竹は監督の出身地であり、いわばルーカスの『アメリカングラフィティ』にも共通する原体験の映像化といえるのだろう。主役の台英混血の鳳小岳はじめ、張捷、王柏傑らの台流スターたちが等身大の高校生を熱演、こちらも皆良い感じにキャラが立っていてそれぞれに感情移入できる。また彼らを取り巻く初家晴ら女生徒たちも皆、大人への背伸びの反面揺れる心を内包する演技が本当に可愛く魅力的だ。
折から台湾では再び米迪亜T・REXという新球団の八百長事件が勃発しており、皮肉にもこの映画に妙なリアリティをもって観ることができた。
もう一本はマレーシア映画の『ポケットの花』(原題『口袋的花』)。マレーシアの公立小学校に通う中華系の兄弟にフォーカスを当てて、マレー人との民族融和の中で暮らしている子供たちのほのぼのとした日常を描いたもの。監督も中華系の若手監督・劉城達(リュウ・セン・タック)。いわばマレーシア版の『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』といった感じの作品で、子供たちの周囲のさまざまな民族の大人たちがまた皆どこかネジが緩んだ人ばかりで可笑しい。決して幸せな環境ではない子供たちなのだが、彼らの行く末にあまり不安を感じさせないところが、マレーシアというおおらかな東南アジア的な国柄も感じさせる。映画的にはさしたるドラマは起こらないものの見終わったとき心が和む、そんな小品である。
今年は残念ながら2本だけしか観ることができなかったが、それは何もこちらのスケジュールの問題だけではない。映画祭の「アジアの風」部門のキュレーターが従来の暉峻創三氏が変わってしまったせいか、香港、台湾の作品がぐっと減ってしまったことも一因ともいえる。出品国のバラエティが富んだのは良いが、韓国映画偏重のきらいもあり、このあたりは台湾・香港映画ファンとしてはいただけない。それからメーン会場を六本木ヒルズに移して3年余りたつが相変わらず映画祭ムードが皆無の一体感の無さ、寒々しさは何とかならないのだろうか?
2008年10月23日木曜日
台湾への旅
先週末から久々に台湾へ行ってきた。
今回の旅行は高雄から入って北上し、台中、鹿港、台北と新幹線で移動した。
台中は昨年末に野球の北京五輪予選で訪れたが、南部の高雄や鹿港を訪れるのは5年ぶりだ。
詳細についてはおいおい「亜洲南洋倶楽部」の方で書いていこうと思っているが、天候にも恵まれ時間をかけて古都・鹿港を散策できたのもよかったし、自分にとって第二の故郷的な懐かしさと居心地の良さを味わうことができた。
印象的だったのは高雄や鹿港に日本人観光客の姿が極めて少ないのは昔から変わらないが、その分、台北には日本人であふれかえっていたこと。故宮や台北101、鼎泰豊といった定番や最近人気の九份あたりではどこでも日本語が飛び交っていた。円高差益はさほど感じないが、むしろ景気の悪化や燃油サーチャージの上乗せで遠い欧米を避け近場を選ぶ傾向が顕著になったということなのだろうか。
中国本土の観光客受け入れを公約にした馬英九政権だったが、こちらのほうは手続きの煩雑さや景気の悪化なども影響したのかあまり成果が上がらず、やはり日本人観光客誘致がより実効性が上がると受け入れ側もシフトを変えているようにも聞いている。
反面、駐在員御用達の飲み屋やレストランはガラガラで、駐在員はどんどん減る一方と昔のなじみの店で嘆かれた。さらに中南部の観光地は逆に海外旅行を控える台湾人の国内観光客でどこもいっぱいだったのもちょっと気になったところだ。
ともあれ、美味いものをたらふく食べまくり、体重増加を気にしつつもリフレッシュできたのはなにより。世界中が景気の悪化に動きが取れなくなってきている中、じっとしていても展望が開くわけでもないしね。
2008年10月17日金曜日
週間呑みアルキスト 10.5~10.16
●10月7日
KS社のK部長が夕方来社しているところに、かつてK社時代の先輩M氏が偶然にも顔を出してくれたので、こうなりゃ共通の知人で近所に会社を構えるT出版のO社長も呼び出しちまえ、ということで事務所の隣の『明治屋2nd』の開店と同時に元K社のOB会が始まる。この日は別口で、名古屋からK社時代の後輩が訪ねてくる予定もあり(後に事務所で合流)、夜遅くまでK社デーとなってしまう。
●10月8日
前日に引き続き、旧K社の女性誌のスタッフだったT嬢とI嬢が来社、やはり夕方早い時間からの飲み会となってしまう。まだ周辺の飲み屋が開いていないのでビアホールの『ランチョン』でウェイティングビール。その後、居酒屋の『名舌亭』へ移動。T嬢は声が大きくその上大はしゃぎするので案の定お店に迷惑をかける。なかなか気炎が収まらず、更に『明治屋2nd』へ移動しハイテンションの夜は続く。
●10月10日
例のごとく仕事の後に『明治屋2nd』に顔を出すと、近所のデザイナーK氏、H社のU氏が既に呑んでいた。お二人とは翌週末から台湾へご一緒させていただくので、事前学習にと『台南担仔麺』へ移動し台湾料理と紹興酒で予習に勤める。
●10月11日
K誌K編集長と2週連続の土曜打ち合わせ。その後、神保町『たかせ』にて日本酒と蕎麦の夕食。さらに帰りの方角が同じなので新宿2丁目の『T's Bar』に付き合わせる。
●10月15日
久々にサッカー日本代表の応援で浦和美園の埼玉スタジアムへ。手痛い引き分けの結果に消耗しきって東京方向へ即帰り。同行のask氏と神楽坂の蕎麦割烹『まろうど』で遅い夕食兼呑み。カウンターの背後のテーブル席で聞きなれた声がしたので振り返ると、K社の販売部の人たちが宴もたけなわで、しばし近況報告を交わす。先に店を出て行く際にボトルで入れた蕎麦焼酎を進呈されたので有難く頂戴した。
●10月16日
仕事後『明治屋2nd』で軽く呑んでいると、T出版のO社長が通りかかりお相伴させる。翌日から台湾なので深酒はしないよと断ったが、O社長も沖縄出張だそうで、この面子では珍しく軽く切り上げる。帰りに池袋駅の火災事故に巻き込まれ大幅にダイヤが乱れ、披露困憊の帰宅となってしまう。慣れないことはするもんじゃない。
2008年10月16日木曜日
駒も気迫も物足りない!
ワールドカップアジア最終予選のホーム初戦、対ウズベキスタン戦は痛すぎるドローに終わった。
当日埼玉スタジアムに向かう電車はホームに人があふれているという理由で何度か時間調整で止まった。試合前、久々に5万5千の大観衆でスタジアムは埋めつくされヒリヒリするような真剣勝負への期待が否が応でも高まる。
しかしながらカタール、オーストラリアに連敗した手負いのウズベキスタンはなかなかに手ごわい相手だった。立ち上がりからすばやい攻め上がりとスピードで日本陣内にパワフルに攻め込んできた。そんな勢いに呑まれたのかつまらないミスを繰り返す日本の隙をついて、あれよあれよという間に先制点を決められてしまった。
その後日本も立ち直り、ポゼッションを支配したが、またぞろ決定機に点が取れない。得意の早い玉回しで大久保から玉田に渡って同点にした時は、これで吹っ切れて逆転のゴールは時間の問題と思ったが、ウズベキスタンのGKがファインセーブを連発し、彼らのDFは何度もピンチをしのぎ機を見てカウンターを仕掛け、結局日本はチャンスを何度も創出するものの1-1でタイムアップの笛が鳴ってしまった。
これまでウズベキスタンがカタールやオーストラリアと星のつぶしあいをしていてくれたらまだ良かったのだが、今回2連敗のチームに引き分けたことは、日本は先の対戦相手を考えると非常に痛い引き分けといわざるを得ない。
大健闘のウズベキスタンだったが彼らを葬れなかったことで次のアウェイのカタール戦は文字通り勝たなければいけない試合になってしまった。
報道では今更基本的なシュート練習を課せられていたらしいが、決定力に欠けることもそうなのだが、マイボールになった後も後方でパスの出しどころを探すだけで、誰もアグレッシブに動き回ってボールを呼び込もうとしないことが、それ以上に問題であるような気がする。
岡田によって起用された若い香川や内田、岡崎あたりはやはり経験不足が目に付いたし、そもそもが代表の器なのだろうか。
選手起用も含め、結果が出せない日本代表。岡田は“仕方がないが、まだ問題ではない”と強気のコメントを崩さないものの、南アフリカへの道のりは険しくなっていく一方だ。
2008年10月10日金曜日
どうにも止まらない
“いまだかつて見たことの無い下げ”
“下値予想はまったくの無駄”
“バケツの底が抜けたよう”
“山の上からブレーキが壊れたトラックが落ちてくる”
見出しが躍る。
メルトダウンが止まらない。
前日のNY株式市場6日連続急落、ダウ9000ドル割れという事態を受け、10日の東証の日経平均も8276円43銭と7日連続で暴落してしまった。
1日のうちに、不動産投信のニューシティ・レジデンス投資法人破綻、大和生命の破綻と2つもでっかい悪条件が揃えば落下スパイラルに拍車がかかるのも当然だろう。
なけなしのわが資産の含み損も広がる一方、この2週間で座っていただけで既に40%ほど消え去ってしまった。調子の良かった豪ドル建て債権、勢いのあったブラジルレアル立て債権、バランス型投信すべて基準価格は毎日毎日下がり続ける。世界中の個人投資家がなにもできずに損失を抱えているわけで、こっちだってどうしようもないし、あきらめてただただもう笑って右肩下がりの曲線を見守るしかない。もう損切りはとっくに手遅れとなり今後何年か塩漬けするしかない状況だが本当にこれから再び上昇することはあるんだろうか?
しかし事の発端であるアメリカ経済の混迷が単に金融機関や企業業績の悪化ということではなく、経済構造の本質的な崩壊と見て取れるだけに事はそう簡単ではない。逆に今がチャンスという投機筋の反発への胆力が沸かないのも、この1ヶ月のアメリカ政府の迷走振りと無策振りが見切られているからなのだろう。
ただ1920年代の世界恐慌とは情報のスピードも社会構造も異なっているわけで、少なくとも恐慌から戦争へ向かった当時のような破滅的なシナリオになっていくことはない、と思いたい。週末のG7で各国の叡智によってこの危機をなんとか解決に導く糸口が見出せるのか、注目される。
日本市場は週末から3日間の休み。
とりあえずは酒飲んで、美味い肴でもつまみつつ、テレビでも見てるしかねえな。
阪神はもうアカンし、MLBかプレミアリーグか…。
え、プレミアリーグが世界同時株安で経営危機だって???
駄目だこりゃ。
“下値予想はまったくの無駄”
“バケツの底が抜けたよう”
“山の上からブレーキが壊れたトラックが落ちてくる”
見出しが躍る。
メルトダウンが止まらない。
前日のNY株式市場6日連続急落、ダウ9000ドル割れという事態を受け、10日の東証の日経平均も8276円43銭と7日連続で暴落してしまった。
1日のうちに、不動産投信のニューシティ・レジデンス投資法人破綻、大和生命の破綻と2つもでっかい悪条件が揃えば落下スパイラルに拍車がかかるのも当然だろう。
なけなしのわが資産の含み損も広がる一方、この2週間で座っていただけで既に40%ほど消え去ってしまった。調子の良かった豪ドル建て債権、勢いのあったブラジルレアル立て債権、バランス型投信すべて基準価格は毎日毎日下がり続ける。世界中の個人投資家がなにもできずに損失を抱えているわけで、こっちだってどうしようもないし、あきらめてただただもう笑って右肩下がりの曲線を見守るしかない。もう損切りはとっくに手遅れとなり今後何年か塩漬けするしかない状況だが本当にこれから再び上昇することはあるんだろうか?
しかし事の発端であるアメリカ経済の混迷が単に金融機関や企業業績の悪化ということではなく、経済構造の本質的な崩壊と見て取れるだけに事はそう簡単ではない。逆に今がチャンスという投機筋の反発への胆力が沸かないのも、この1ヶ月のアメリカ政府の迷走振りと無策振りが見切られているからなのだろう。
ただ1920年代の世界恐慌とは情報のスピードも社会構造も異なっているわけで、少なくとも恐慌から戦争へ向かった当時のような破滅的なシナリオになっていくことはない、と思いたい。週末のG7で各国の叡智によってこの危機をなんとか解決に導く糸口が見出せるのか、注目される。
日本市場は週末から3日間の休み。
とりあえずは酒飲んで、美味い肴でもつまみつつ、テレビでも見てるしかねえな。
阪神はもうアカンし、MLBかプレミアリーグか…。
え、プレミアリーグが世界同時株安で経営危機だって???
駄目だこりゃ。
2008年10月9日木曜日
偉大なテレビマンの思い出
緒形拳の訃報に先立つ5日前の9月30日、元NHKディレクターだった吉田直哉さんがひっそりと亡くなられた。
吉田さんは日本のテレビドキュメンタリーの草分けとなった『日本の素顔』を制作し、65年、66年に大河ドラマ『太閤記』、『源義経』で緒形拳を起用した人でもある。
時をほぼ同じくして鬼籍に入られたお二人のことを考えると何とも不思議な縁を感じてしまう。吉田氏死すのニュースもおそらくは緒形の耳にも届いていたとは思うが、その時緒形も自らの余命いくばくか感じていたのだろうか…。
吉田さんとは1983年、「ザテレビジョン」誌のテレビ放送開始35周年記念企画でテレビマンユニオンの今野勉氏と対談していただいた時に初めてお目にかかった。草創期のテレビ製作の思い出話がメインだったが、温厚ではあるが内に秘めた製作者魂というか、時間がたつのを忘れ熱くテレビの現場を語っておられたのをつい昨日の様に覚えている。
その後もNHKの番組取材では大変お世話になって、広報を通さない現場取材でも嫌な顔ひとつされず丁寧に応対していただき当時まだ実験段階だったコンピュータグラフィックスで描く『銀河鉄道の夜』や84年の大型ドキュメンタリー企画『21世紀は警告する』の特集記事も書かせていただいた。そのときのCGスタッフに吉成真由美さんという若い気鋭の女性ディレクターが加わっていて、実の娘さんのように目を細めて見守られていた(吉成さんはその後科学ライターへ転ぜられ『21世紀は警告する』で知り合ったノーベル賞を受賞した利根川進博士と結婚する)。当時30代になりたてだった自分自身にとっても大変に勉強になったし、今なお当時の取材の経験があってこそ今の自分があるのだと思っている。
NHK退職後武蔵野美術大学で教鞭をとられ多くの著書も表しているが、NHKというか日本のテレビ製作の先達だった吉田さんの足跡は、映像史のみならず現代史的に見ても非常に大きい功績を遺したのではないかと思う。
映画と違ってあまりテレビ製作者個人の偉業にスポットが当たることは少ないが、そのたかがテレビに賭けた吉田さんの遺したものの大きさを、緒形拳の死を伝えるニュースとともに改めて考えさせられている。
謹んで御冥福をお祈りいたしたい。
吉田さんは日本のテレビドキュメンタリーの草分けとなった『日本の素顔』を制作し、65年、66年に大河ドラマ『太閤記』、『源義経』で緒形拳を起用した人でもある。
時をほぼ同じくして鬼籍に入られたお二人のことを考えると何とも不思議な縁を感じてしまう。吉田氏死すのニュースもおそらくは緒形の耳にも届いていたとは思うが、その時緒形も自らの余命いくばくか感じていたのだろうか…。
吉田さんとは1983年、「ザテレビジョン」誌のテレビ放送開始35周年記念企画でテレビマンユニオンの今野勉氏と対談していただいた時に初めてお目にかかった。草創期のテレビ製作の思い出話がメインだったが、温厚ではあるが内に秘めた製作者魂というか、時間がたつのを忘れ熱くテレビの現場を語っておられたのをつい昨日の様に覚えている。
その後もNHKの番組取材では大変お世話になって、広報を通さない現場取材でも嫌な顔ひとつされず丁寧に応対していただき当時まだ実験段階だったコンピュータグラフィックスで描く『銀河鉄道の夜』や84年の大型ドキュメンタリー企画『21世紀は警告する』の特集記事も書かせていただいた。そのときのCGスタッフに吉成真由美さんという若い気鋭の女性ディレクターが加わっていて、実の娘さんのように目を細めて見守られていた(吉成さんはその後科学ライターへ転ぜられ『21世紀は警告する』で知り合ったノーベル賞を受賞した利根川進博士と結婚する)。当時30代になりたてだった自分自身にとっても大変に勉強になったし、今なお当時の取材の経験があってこそ今の自分があるのだと思っている。
NHK退職後武蔵野美術大学で教鞭をとられ多くの著書も表しているが、NHKというか日本のテレビ製作の先達だった吉田さんの足跡は、映像史のみならず現代史的に見ても非常に大きい功績を遺したのではないかと思う。
映画と違ってあまりテレビ製作者個人の偉業にスポットが当たることは少ないが、そのたかがテレビに賭けた吉田さんの遺したものの大きさを、緒形拳の死を伝えるニュースとともに改めて考えさせられている。
謹んで御冥福をお祈りいたしたい。
2008年10月5日日曜日
週間呑みアルキスト 9・26~10・4
以前mixiの日記で書いていた呑み歩き日記の復活でございます。
●9月26日
マイミクメンバーのask氏とDONJUAN氏のお誘いで門前仲町の居酒屋『だるま』へ。下町居酒屋としては有名繁盛店で知られ、なぎら健壱ら下町呑みアルキストの御用達である。DONJUAN氏はつつじヶ丘に引っ越したとのことで早めに帰還したので、地元のask氏と門仲には珍しいおしゃれなBar『オーパ』に流れる。バーテンさんが3人ほど長いカウンター内に立っていてみなイケメン揃い。心なしか女性客が多いような気もする。呑み足らなそうなask氏だったが、遠距離のタクシー帰宅は避けたく辞去し何とか終電に飛び乗る。
●9月29日
20年来のお付き合いのデザイナーO氏の還暦祝いで、新宿三丁目は末広亭となりの『魚河岸ごはん 築地とときち』に集合。O氏の会社M社と仕事先のK社のOB・現役たち総勢15人ほどが出席。現在はイギリスに在住しているかつてのデザイナー仲間も遠路駆けつけ、久々の再開で盛り上がる。2次会は近所の本格的ブリティッシュバーの『EORNA』へ。60歳を迎えなお元気なO氏にモルトウィスキーをつきあっているうちにすっかり酔っ払ってしまい久々に深夜タクシー帰宅。団塊の世代はなかなかに手ごわい。
●9月30日
H企画のU氏、デザイナーのK氏と今月行くことになった台湾旅行の打ち合わせ。いったん解散した後、事務所の隣の『明治屋2nd』に再集結。『明治屋』は普段からイベリコ豚の生ハムを出したりスペインのバル風のお店なのだが、この週はカスティーリヤ・レオン州のキャンペーンイベントで本格的なタパス&ワインを振舞っている。さっそく州原産のTOROの白ワインを賞味。なかなかに辛口かつフルーティーなワインでついつい杯を重ねてしまう。
●10月2日
T出版のO社長とデザイナーAki氏、カメラマンN氏と専大前交差点そばのビル地下にある中華料理『東方園』で食事。O社長は何日か前にこの店で傘を借りたので義理堅く返却しに再訪とのことだった。これが効いたのかやたらサービスがよく何品か料理を追加で出してくれる。数軒飲食店が入っているビルなのだが比較的開店から間もないのか今日までその存在に気がつかなかったもののなかなか料理はいける。と思ったら店の入り口には「料理の鉄人」に出演しこの店の老板と陳健一が一緒に写ったパネルが飾られていた。ちなみに結果を聞いたら勝負には負けたそうであるw 2軒目に寄った『シャルルボイル』で旧知のライターK嬢とばったり。同席していたS社の女性誌P誌のスタッフにも紹介してもらうが女性誌も以前の勢いはなくて大変なんだそうだ。K嬢は以前シンガポールに駐在していたときに遊びに来てくれたこともあるのだがしばらく音信がなかった。“今は結婚して名前が変わっちゃってます”とのこと。まあ元気そうでなによりである。
●10月3日
T出版のO社長が神宮球場の野球のチケットをもらったと前夜に続きお誘いがあって、ラッキーにも優勝争いのデッドヒートを繰り広げているわがタイガースの対ヤクルト3連戦の緒戦を観れることになった。この日のタイガースは先発の安藤が好投し7回まで5-0でリード、楽勝ムードで肌寒さを忘れビールが美味い。六甲おろしを気分よく歌ったところまでは良かったのだが、その後継投の久保田、ウィリアムス、アッチソンがことごとく打たれ急に雲行きが怪しくなってきた。8回から守護神・藤川まで投入したが痛恨の逆転打を浴びてしまった。信じられない結末に言葉を失うが、気を取り直してゲン直しに新宿二丁目の『T's Bar』に出向く。すると近所の居酒屋『かり屋』の店主で無類の阪神ファンのTさんが来ていたので、ついつい愚痴の言い合いになってしまった。すきっ腹に呑んだのと精神的ショックですっかり悪酔いしてしまうorz
●10月4日
友人であるK誌のKN編集長と久々に呑む。神楽坂で待ち合わせたのだが土曜にもかかわらず結構な人出であった。古いたたずまいの残る神楽坂は最近すっかり観光地化してしまったようだ。季節的に鍋料理とかが良かろうと本田横丁から津久戸町方向へ抜けたところにある『葱屋みらくる』という店へ。ここは鍋料理のメニューだけで20種以上も選べるのだが、日本酒「吉野杉」をちびりちびり遣りながらつついたもつ鍋はヘルシーですごく美味かった。K誌は親会社の倒産で現在宙ぶらりん状態が続いているが、KN編集長も残務処理がようやく一段落したようで今後の対策含めいろいろと話を聞いてあげた。K誌はなかなかグレードの高い素敵な雑誌だったのでなんとか復刊できればいいのだが。それはそうと関西出身のKN氏も奇遇にも昨夜は神宮に阪神の応援に行っていたというので、最後は不景気な仕事の話は忘れ連夜の愚痴大会で盛り上がって(下がって?)しまったw
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