2014年12月27日土曜日

今年のベストテン

今年劇場で観た極私的映画ベストテン
1位 インターステラー(クリストファー・ノーラン監督
2位 グランドブダペストホテル(ウェス・アンダーソン監督)
3位 ゴーン・ガール(デヴィッド・フィンチャー監督)
4位 ジャージーボーイズ(クリント・イーストウッド監督)...
5位 シーズ ファニー ザット ウェイ(ピーター・ボグダノビッチ監督)
6位 GF★BF(ヤン・ヤーチェ監督)
7位 リスボンに誘われて(ビレ・アウグスト監督)
8位 ミッドナイトアフター(フルーツ・チャン監督)
9位 オール・イズ・ロスト(ロバート・レッドフォード監督)
10位 ドラッグ・ウォー/毒戦(ジョニー・トー監督)

見逃してしまって後悔度が高いベスト5
1位 エレ二の帰郷(テオ・アンゲロプロス監督)
2位 イーダ(パヴェウ・パヴリコフスキ監督)
3位 新しき世界(パク・フンジョン監督)
4位 アデル ブルーは熱い色(アブデラティフ・ケシシュ監督)
5位 トム・アット・ザ・ファーム(グザヴィエ・ドラン監督)

極私的監督賞 クリストファー・ノーラン(インターステラー)
極私的男優賞 ダヴィド・オグロドニク(幸せのありか)
極私的女優賞 グイ・ルンメイ(GF★BF)
極私的助演男優賞 シャイア・ラブーフ(フューリー)
極私的助演女優賞 ジュリアン・ムーア(マップ トゥ ザ スターズ)
 
今年は多くの映画人が世を去ったが、残念だったのはなんといっても高倉健と菅原文太の東映2枚看板の訃報だった。心からの哀悼の意を捧げたい。
以下今年亡くなられた映画人たち(敬称略)
淡路恵子、スコット・カルバート、野中マリ子、高橋昌也、マクシミリアン・シェル、フィリップ・シーモア・ホフマン、アラン・レネ、安西マリア、宇津井健、蟹江敬三、ジェームズ・レブホーン、松本典子、ミッキー・ルーニー、鈴木晄、ボブ・ホスキンス、葛井欣士郎、九條今日子、鈴木則文、林隆三、深町幸男、藤井浩明、ジェームズ・ガーナー、ジェームズ繁田、ロビン・ウィリアムス、ローレン・バコール、リチャード・アッテンボロー、曽根中生、米倉斉加年、山口淑子、中川安奈、桂小金治、田宮五郎、羽仁未央、マイク・ニコルズ、ジョニー大倉、大津幸四郎、ビルナ・リ―ジ、川北紘一、品田雄吉。 〈合掌〉
 
 
 

2014年12月3日水曜日

週間呑みアルキスト11.1~11.30



●11月2日
朝一番で練馬区健診センターで胃がん検診。バリウムを出し切った後に休日出勤にて出社。夕方早い時間から打ち合わせでやってきたOK氏、TKデザイナーと神保町の居酒屋『酔の助』でホッピーでちびちび。すずらん通りの『日比谷Bar神保町店』で締めの一杯。

●11月4日
ロンドン在住のデザイナーWA嬢が一時帰国。久々に呑みましょうということで彼女がかつて所属していたMM社のOB/OGたちと新宿三丁目『バクライ』へ。ワイン好きのMM社OG社長の参加もあって結構なワインが次々空いていき、気がつけば割り勘で福沢諭吉が飛んでいくほど呑んでしまった。懐も寂しいので早々に撤退。

●11月8日
神保町の『明治屋2nd』で知り合いとなったOG嬢の結婚式の2次会パーティーに参加。場所は大人数でもOKのダイニング『エスぺリア』。それなりに座興もあって手作り感満載の披露パーティーであった。お幸せに。終了後まっすぐ帰るつもりだったが乗り継ぎで新宿三丁目で下車したついでに『t’s bar』に寄り道。

●11月14日
以前立ち上げに参加したK社の台湾法人15周年のパーティーに参加するため成田から台北へ向かう。午後ホテルにチェックインし一休みしてから民生東路の『Chilis』という大きなレストランバーの貸し切り会場へ。会場はすでに大勢のスタッフ、関係者で一杯。受付の子も10年前にいた日本人のオジサンを知る由もなく、なんとか董事長TK氏の名を出し案内してもらう。やっと知り合いの日本人スタッフたちや現地の古株社員たちと合流でき歓待される。しかし15年はあっという間の感がある。会が終了後TK氏と総経理KT氏、駐在員OT氏と林森北路のスナック『JUNO』で2次会に繰り出す。ここのママさんは自分が駐在時代に行きつけだった店の小姐だったMT嬢。10年ぶり位の再会で大騒ぎに。こういう楽しさがあるから台湾はやめられない。

●11月15日
朝昼兼用の食事をとるためホテル近くの晴光市場近くの屋台街で食事。意麺とか焼餅とか腹に詰め込み、東区の新しいスポットなどをぶらつき、誠品書店信義旗艦店で買い物をしたりCDコーナーで時間をつぶす。夕食はKT総経理、OT氏と古参の女性スタッフSM嬢と錦州街の雲南料理の名店『雲南人和園餐庁』で会食。店の名物料理・過橋麺はじめ料理はみなエクセレント。これだから台湾はやめられない。OT氏と『台北之家』のカフェバー『珈琲時光』へ。

●11月16日
再びホテル近くの『晴光市場』で肉魯飯の朝食をすませ、新幹線で台南へ向かう。台南はかつて2度ほど旅行したが、高雄への通りすがりに寄ったりだったので駆け足だった。今回はリニューアルオープンした歴史建造物『林百貨』やニニ八事件ゆかりの場所や日本統治時代の面影が残る舊街(ふるい街並み)を散策したり、台南名物の小吃を食べたり一日台南をそぞろ歩く。夕方新幹線に乗れば2時間弱で日帰りで台北へ戻れるので本当に便利になったものだ。

●11月17日
桃園空港で帰国便にチェックインした後、レストランで今回食べる機会がなかった小龍包をつまみにビール。第2ターミナル『晶華』というリージェントホテルと関係がありそうなテナントだったが割と美味い。かつての第1は『亜太大飯店(現神旺大飯店)』だったが、よっぽど美味い。帰国後、会社に立ち寄り雑事を済ませた後、『明治屋2nd』で軽く一杯。

●11月18日
アギ―レジャパンのオーストラリア戦を会社でテレビ観戦。結局W杯時のメンバーに戻ったが、勝つことが求められるアジアカップを必要以上の若手起用で戦力を落としても何もならない。結果、当面のライバルであるオーストラリアに勝利したのは大きい。

●11月22日
専門誌のデザイン会社から手配してもらって、『明治屋2nd』のマスターほか計4名でボクシングのW世界タイトル戦を観戦に横浜国際プールへ。カードはスーパーフェザー「三浦隆司×エドガル・プエルタ(1位)」とフライ「ローマン・ゴンザレス×ロッキー・フエンテス(8位)」。三浦のメガトンパンチ炸裂に興奮。渋谷に出て同行の4名に、マスターの奥様はじめ女性陣が合流して中華料理『香港ロジ』で宴会。

●11月26日
帰宅途中、新宿三丁目で道草。『博多天神新宿御苑店』で遅い夕食、『t’s bar』で一杯といういつものコース。厚岸の牡蠣が入荷。そんな季節になったと実感。

●11月27日
K社勤務時代の後輩たち、現蔵元社長のHR氏、印刷会社勤務AS氏、フリーのSG嬢と新橋で吞み会。会場は80年代ロックで日本酒を楽しむといういささか変わった趣向の『'80専科 洋楽いし井』という店。s-haやらユーリーズミックスやらMTVが店内のスクリーンにガンガンかかり、こっちの世代の琴線に触れるには幾分若いが、雑誌編集でバリバリ働いていたころの曲が多く、それなりに懐かしい。30後半から50代はじめくらいが中心のお客さんたちは大盛り上がり。お店の趣味はともかく、肴の料理も手が込んだものが多くなかなかのもの。

●11月29日
トップイーストの某チームのマッチレポートの取材も今季最終戦。場所は厚木に近い海老名運動公園陸上競技場と結構遠い場所。しかも朝から怪しかったが厚木到着時には土砂降り。最悪のコンディションでの取材となった。試合後半からやっと天気も持ち直し終了時には晴れ間が見えるようになったのでまだ良かった。会社に戻ると『明治屋2nd』が土曜営業で開けていたので一杯。

●11月30日
『明治屋2nd』で知己を得たMC嬢の、現在修行中のヴォーカル教室の発表会を聴きに御茶ノ水の『NARU』へ。8名の男女の生徒さん達がJAZZスタンダードナンバー中心に生バンドで歌う趣向。うまい下手は別として皆楽しそう。終了後、『明治屋2nd』応援チームで『温野菜水道橋店』にて打ち上げ。
 

2014年12月2日火曜日

時代の終焉

昭和という時代が終わっていく。
何年から前から、戦後に活躍してきた人たちの訃報を聞くたびに言われてきた言葉であるが、無理もない。もうすぐ平成も27年目だ。それにしても高倉健、菅原文太という東映の大スターの相次ぐ訃報は、昭和の終焉という以上に自分自身のこれまでの人生の大事なものが朽ち果てていくような悲しみを感じさせる。

しかも、戦後という時代が、それ以前の時代の文化が戦火とともに灰燼と帰したところから、貧しくても先の曙光を信じられる時代だったが、いま終わろうとしている時代の先には、明るさは見えてこない。菅原文太の晩年の社会的な発言の裏には、そんな危機感もあってのことだろう。

『仁義なき戦い・頂上作戦』で広能昌三は、敵味方に分かれてしまったかつての仲間・服部武にこんなことを言う。
「もう、わしらの時代は終いで...18年も経って口が肥えてきたけんのう。わしら、もう野良突くほどの性根はありゃせんのよ」

自分もこれからそんなに遠くなく老境を迎える。野良突くほどのことをやってきてはいないかもしれないが、身にしみる台詞だった。
この脚本を書いた笠原和夫もいまはもう亡き人である。

高倉健、菅原文太両人の不在。何ともやりきれない。

合掌。