2010年4月26日月曜日

週間呑みアルキスト4.12~4.26


●4月12日
以前よくお世話になっていたのだが、ここのところ何年もあっていなかったデザイナーのTBさんが、音頭を取ってかつての編集関連の同窓会のような飲み会を設定。場所も昔懐かしい、よく夜中に溜まっていた新宿三丁目の居酒屋『池林坊』。TBさんが色々声がけした面々が三々五々と集まってくるたびに、いや~懐かしいね、どうしてた?の声が飛び交う。思い出話や近況報告ですっかりクラス会のりだったが、つい昨日のようだった80年代から90年代にかけての仕事に追われていた日々を思い出す。

●4月13日
スポーツカメラマンKTさんと編集のKJ氏と打ち合わせ方々神保町の中華料理屋『源來軒』で食事。5月下旬発売のワールドカップに向けた特別号の話だが、岡田ジャパンの本大会出場選手にだれが選ばれるかの話題に集中、その発表次第で直前差し替えもありうるのでこちらも真剣に借入稿の予想しなければならないのだ。食事後『シャルルボイル』に席を移し、岡ちゃんに先んじてさらに選手選考が続く。

●4月16日
入稿準備に忙殺される中、なんとか時間をやりくりして日本武道館の『キャロル・キング&ジェイムス・テイラー』のコンサートに駆け付ける。仕事をブッチした甲斐のあるすばらしいコンサートでしばし忘我の境地。すぐに社に戻ろうかと思っていたが、やはりアフターライブの余韻を楽しみたい、同行のHT氏と雨の中ごった返す九段下を離れ、神保町まで戻り『LIBERTE』というダイニングバーでコンサート評にふける。

●4月21日
K社時代の先輩でお取り寄せサイトを立ち上げたSM氏のサイトオープンを祝ってスタッフの打ち上げが催され顔を出す。牛込神楽坂の居酒屋『藤や』でSEのHO氏、KB氏、編集のNG氏、SB氏らと歓談。ごく普通の居酒屋ではあったが宴会コースの料理もなかなかのボリュームですっかり満足。サイトのこれからの発展を期待しつつ杯を重ねる。

●4月24日
桜新町のデザイン会社D社で打ち合わせの後、編集のKJ氏と軽く一杯と思うが、KJ氏は隣の用賀が地元でしかも名うての飲みすけなので、彼のペースにはまらないように注意を払う。駅の近所にある綺麗な炭火焼鳥専門店『まさや』に入るが場所柄か家族連れでにぎわっている。ひととおり飲み食いしたのち、会社に戻ろうとしたがやはりKJ氏に懇願され、絶対にもう1杯だけと念を押して『旬菜いおり』という店にはしご。結局3杯飲む羽目になったがKJ氏の飲みたらなそうな顔を無視してなんとか事なきを得て帰社に成功、やれやれ。

2010年4月17日土曜日

歳を取るのも悪くない


昨夜は仕事の合間を縫って日本武道館に『キャロル・キング&ジェイムス・テーラー』というアメリカのロックヒストリーを代表する2大ソングライターの夢の競演に駆け付けた。
キャロルは1昨年の『Welcome to My Livingroom Tour』以来だが、相変わらず68歳とは見えない若々しさ。ジェイムス・テイラーはというと、すっかり外観は老人のようになってしまったが、ギターを抱えた瞬間あのみずみずしかった時代の青年に戻ってしまったのに驚いた。
『So Far Away』『Carolina In My Mind』『Country Road』『Natural Woman』と二人のヒット曲が続いていく中、お互いがお互いをリスペクトしながら本当に楽しそうな波動が伝わってくる。前から4列目という絶好の席だったこともあるのだろうか、その二人の共鳴し合う波動に心が癒され、思わず涙ぐんでしまう。圧巻は“Very Old Song”と曲紹介で恥じらいながら二人が寄り添い歌う『Crying In The Rain』と『Will You Still Love Me Tommorow』のデュエット。会場の外の降りしきる冷たい雨もハートウォ―ムな歌声の演出のようにも思えてくるのだ。
『Fire And Rain』『You’ve Got A Friend 』
会場に詰めかけた決して若くはない大勢の観衆たちすべてが、それぞれの過去を振り返りながら心が満ちていくのが判る。

歳を取るのも、そう悪いもんじゃない。

そんな気分に浸りながら至福の時間をたっぷりと堪能した一夜だった。

セットリスト
1.Blossom(JT)
2.So Far Away(CK)
3.MachineGun Kelly(JT)
4.Carolina In My Mind(JT)
5.Way Over Yonder(CK)
6.Smackwater Jack(CK)
7.Country Road(JT)
8.Sweet Seasons(CK)
9.Mexico(JT)
10.Song of Long Ago(CK)
11.Long Ago And Far Away(JT)
12.Beautiful(CK)
13.Shower The People(JT)
14.Natural Woman(CK)
15.Copperline(JT)
16.Crying In The Rain(JT)
17.Hi-De-Ho(CK)
18.Sweet Baby James(JT)
19.Jazzman(CK)
20.Will You Still Love We Tommorow(CK)
21.Steamroller Blues(JT)
22.It’s Too Late(CK)
23.Fire And Rain(JT)
24.I Feel The Earth Move(CK)
25.You've Got A Friend(CK)
~Encore
26.Up On The Roof(CK)
27.How Sweet It Is(JT)
28.Locomotion(CK)

2010年4月12日月曜日

週間呑みアルキスト3.29~4.11


●3月29日
この業界に入ったときからの先輩であるMTさんが、東京の生活を引き払って故郷の足利市に戻るということで、かつての同志たちだったメンバーでささやかな送別会。KM社の幹部であるFD氏、TN氏をはじめ大先輩のNM氏、KB氏、TW誌を成功させた後リタイアしたTC氏など30年前からの雑誌の立ち上げにかかわった人たちが飯田橋ラムラの割烹『北海道』に参集し、MTさんの労をねぎらうとともに昔話に花が咲いた。MTさんはかつて秋田のラジオ局のDJを経て音楽番組の制作に携わり高平哲郎さんたちと伝説の番組『今夜は最高』を立ち上げた経歴を持ち、雑誌の世界に転じても音楽物を中心に活躍されてきた。会社を辞めた後は体調を崩され、静養しながら好きな音楽や趣味の世界で仕事を続けていたようだが、お年を召したご母堂のお世話もあって今回の決断をされたそうだ。“学生時代は音楽やメディアの世界で仕事をすることは夢だった。その夢も十分実現できて幸福でした”という挨拶に歳月を感じて少しぐっと来る。これからもお健やかでいてください。

●4月1日
この日でなんと会社を作って5周年にあたる。なにか記念のことをやろうかと思っていたのだが、もうかってもいないし忙しいこともあって10周年まで続けば考えることにする。思えばあっという間だったがよく5年ももったものでもある。帰宅前に隣の『明治屋2nd』に顔を出す。ここもわが社の立ち上げとほぼ同じくしてオープンしたのを思い出す。マスターのHS氏も同じように5周年はスルーなんだそうだが、思い出話にしばしの時間を忘れる。

●4月2日
月刊テレビ誌のワールドカップ別冊の仕事をすることになってWS編集長と、元彼の上司だったKJ氏と打ち合わせの後、神保町の日本蕎麦屋『柳屋』で軽呑み。果たして日本代表人気に陰りがさしこの盛り上がっていない状況下で雑誌が売れるのか、いろいろと議論は尽きないが、とにかく発行までの時間がないので今年も連休返上で仕事になることだけは確かだ。KJ氏と『明治屋2nd』で延長戦。

●4月3日
日曜日、地元の石神井公園で花見をやる企画があるのだが、参加予定のWT氏、SZ氏のお二人が曜日を間違えてこの日に集合予定の場所に来たという連絡が携帯に入る。この日は打ち合わせでそれこそ桜並木が美しい桜新町のデザイン会社との打ち合わせが入っていたので、そう告げるとご両人は残念ですけど二人で一日先に花見をしますとのこと。打ち合わせが終わった夕方に電話をするとまだ石神井公園の沖縄料理屋『海人』で呑んでいるそうなので、せっかくだからと追っかけ合流することに。さらに駅前のBar『SHAKUSHAKU』に場所を移すころはすっかり酔っ払ってしまう。背の高いスツールに座りそこね尾てい骨を思いっきり床に強打し、痛いやら恥ずかしいやら。

●4月4日
予定通り花見の会を総勢8人で決行。しかしこの日は曇天の上花冷えの一日。ひととおり公園を散策した後外での桜の木の下での宴会はあきらめ、自宅を開放しての家呑みに変更。それはそれでにぎやかに盛り上がる。
こちらは2日連続の地元呑みでいささか疲れたが、たまにはこういうイベントも良い。しかし今年の桜のシーズンは天候に恵まれない。

●4月8日
ワールドカップ別冊を手伝ってもらうことになったKJ氏と打ち合わせ後、会社の近所のイタリアン居酒屋『ピアンタ』で食事。話題は前日情けない試合で大敗を喫したわが代表の体たらくに関して。せっかくの仕事も気勢がどうも上がらない。『明治屋2nd』で軽く1杯引っかけ仕事に戻る。

●4月9日
わが社の監査役でもあり大先輩のMK氏が久々にビールをお土産に来社。最近の不景気による仕事の閉塞感から以前二人でかかわったアジアビジネスの思い出話をするうちに、なんだか無性に台湾や東南アジアに行きたくなってくる。会社も5年もやったことだしそろそろアジアをベースに残された人生を過ごすことを本気で考えてみるかと思いを巡らす。

2010年4月10日土曜日

カティンの森の悲劇再び


ポーランドの現職大統領のカチンスキ大統領がロシア西部のスモレンスクで飛行機事故死した。同行の政府要人や大統領夫人も含め87人の乗客乗員の生存者はいないということである。双子の兄も一緒だったのだろうか?一瞬、テロかと思ったが濃霧の中の強行着陸で木に衝突したらしい。

カティンの森の虐殺から70年の追悼行事に参加する途中だったというから、ポーランドにとってはこの地はいよいよ悲劇の場所として記憶されるだろう。事故現場の映像の背景も先日観た映画『カティンの森』を想起させる寒々しい場所だった。
あらためてポーランド国民に対して深い哀悼の意を表したいと思う。

それにしても国家元首の飛行機事故死というのはあまり聞かない。1957年のフィリピンのマグサイサイ大統領、1994年のルワンダのハビャリアナ大統領くらいじゃないだろうか(ルワンダの場合は反政府勢力の対空ロケット攻撃なので一般的な“事故”とはいえないかもしれない)。やはり危機管理という側面から周到に注意がはらわれるからだろう。
今回の場合製造から40年は経過していまだに飛んでいるのかと思うような旧式のツポレフ機が専用機として使用され、大統領以下政府要人がまとめて移動するということ自体が驚きだが、国家の経済的な事情もあるだろうし、「連帯」出身という“立場”もあったから贅沢はできなかったということなのだろうか?そもそもがスモレンスクみたいな田舎の空港には最新機は着陸できないのかもしれない。ただそれにしても不用意な気がしてならない。

何だかこの1週間、色々な国で元首の受難が相次いでいる。
キルギスでは反政府暴動でバキエフ大統領が辞任を迫られ逃亡しているし、タイではタクシン前首相派の抗議デモでアビシット政権は非常事態宣言の窮地に陥っている。キルギスにはJICAの仕事で知人の女性が派遣されているので他人事ではなく心配だ。
そう考えるとどこかの国の内閣の支持率が30.9%に落ち込んだ、なんていうのは受難の内には入らないし本人もあまり意に介していないのだろう。我慢強い国民で良かったなと本当に言いたくなる。経済で失政した大臣が公開銃殺される国だってあるんだぞ。

支持率低下でも蛙の面に小便といったわれらが宇宙人首相だが、カチンスキ大統領、ポーランド国民への哀悼のステートメントがいまだ聞こえてこないのはどうしてなのだろうか?
すべてが他人事のような国家的危機管理意識が欠如するKY首相だが、国際的なKYで恥かかないようにくれぐれもお願いしたいものである。

2010年4月8日木曜日

日本はアウトサイダーであるという現実

南アフリカ本大会まであと2カ月余り。昨夜の0-3の惨敗は本当に目も当てられなかった。
チームの核となる俊輔も遠藤も絶不調、センターバックの第3の柱も見つけられず、頼りの中澤も正直スピードの衰えが隠せなくなった。攻撃陣もドフリーになっても相変わらず点が決めきれない。このままでは本大会も同じ結末になることが目に見えるような敗戦だった。

これに如何に海外組が加わろうとチーム力やスキルが凄く良くなるというわけでもないだろう。岡田監督のかたくなにこだわっていたコンセプトワークも昨夜の報道を見る限り相当揺らいでいるようなコメントも見受けられる。

まあ、ただね、これが世界との差といえば差なんだよな。なんだかここ何大会かすんなりワールドカップに出場したばっかりに(といっても4大会続けば16年たっているわけで、若いファンなんかは日本がいないワールドカップを見ていないという勘定になるわけだが)さも日本が強いと錯覚しているのではないだろうか?
実際ホームアドバンテージがあった自国開催でわずか2勝しただけという事実を思い起こす必要もある。
今回のセルビアが欧州組不在のため2軍、3軍という表現をしているメディアも多いが、レッドスターやパルチザンみたいな名門クラブでトップを張っている連中が、昨日の代表より個の実力でも劣るわけがない。と思えばゆるいJリーグで温室に使っている「国内組」が力負けしてもやむを得ないのも道理である。
本大会の三十二カ国のなかでも日本は下から数えたほうがいいぐらいの実力だし、大会のアウトサイダーだといっても言い過ぎではない。
岡田が目標として掲げた4強は、政党が掲げるマニフェストではなくスローガンと思ったほうがいい。

ここはむしろ冷水をかけられ目を覚ます良い機会ぐらいのポジティブ思考がむしろ必要かもしれない。
一番いけないのは、ここで妙な危機意識にとらわれ打ちのめされてしまうことである。岡田もこの敗戦によって、あるいは続く韓国戦、イングランド戦で結果が出なければさらにバッシングの嵐にさらされるだろうが、確かに彼のベンチワークには疑問の余地はあるものの要は本大会でどう結果を出すかである。
悲観論者はこれで日本のサッカーすべてが衰退するような論調だが、サッカー自体がなくなるわけではない
日本が世界基準の中でどういう位置にあるのか今一度認識する必要があるだろう。

我々はまだ何も失ったわけでもないし、またなにも獲得したわけでもない。